「お前が遺志を継げ。あやつの魂はこの太刀に宿っておる。これを父と思え」
では概要殿、奴らの意気を挫いて参れ
CV(英):エリック・ステインバーグ (日):大塚明夫
『Ghost of Tsushima』の主要キャラクターの一人。
英語表記は「Lord Shimura」。フルネームは設定されていないのか不明。
対馬五大武家が一つ、代々地頭を輩出してきた対馬最古にして最大の武家『志村家』の惣領にして、自身も当代の地頭兼対馬武士団の大将を務める。
武士としての誉れを重んじ、侍の道に則って正々堂々と正面から戦い、その結果命を落としてもそれは名誉ある事であると評価する生粋の武士。蒙古に奪われた砦を仁と共にたった二人で奪い返すなど、その実力も地位に相応しい相当の物。
境井仁の母方の伯父に当たる人物で、幼くして両親を亡くした仁を養子として我が子のように大切に育てながら、侍の誇りと技、そして「武士の誉れ」を伝授してきた。仁にとっては人生最大の恩師であり、見方によっては崇拝とも取れる絶大な信頼と尊敬を寄せている。仁は彼に敬意を込めて「伯父上」、公の場では「志村殿」と呼んでいる。
志村自身は家族は持っておらず、また父親や兄弟達も鑓川の乱の際に戦死している。
序盤の小茂田の戦いで彼は蒙古軍の捕虜となり金田城に幽閉されていたが、金田城で仁に救出されて以降は彼と共に蒙古軍と戦う事となる。そして蒙古軍に占領されていた三戸岳砦を奪還した後には仁を正式に家督として元寇が終わった後に志村家を継がせる事を決断。そして自らの居城である志村城を奪還すべく仁達と戦いを続けていく事となる。
「誉れ」とは
志村が幼少期の境井仁に伝えた概念。一般的には人に誉められるような評価、評判、名誉のことを指す。仁は叔父からこの「誉れ」を叩きこまれ、一人前の武士として立派に育った。
しかしこの志村の語る「誉れ」は民の規範になること(言い換えれば主君に仕える者としてのお手本を示すこと)であり、字面から想像される「高潔さ」や「気高さ」とは若干食い違っているところがある。例えば闇討ち、毒殺など相手の虚を突く戦法を志村は嫌っているが、それは卑怯だからではなく(それを見た)民が暗殺・反乱の手段を覚えることを避けるためである。
- 事実、志村自身も必要と判断すれば悪人の登用や夜襲等を行っている。将として、そして夷狄相手の戦争に必要な判断力は備えていると言えるが、プレイヤーにとっては鼻に付く描写であり、この辺り(仁への糾弾に対し)お前が言うな、ダブルスタンダード等、批判される。
- ただ上述の通り彼の語る「誉れ」とは民の規範になることで、高潔さは求められていないので、それに反しなければ不正な手段も許されるということなのだろう。
- 民を守るために不正な手段も使うという一見して真っ当に見える仁の行動は、志村からすれば「(弱者でも)こうすれば簡単に格上の相手を殺せるよ」と暗殺や反乱の手法を民に示しているも同然であり、「誉れ」ではないとしている。
- 物語後半ではこの志村の語る「誉れ」が、プレイヤー目線の概念ではないことが強調される。仁も蒙古との戦いを経て「誉れ」では民を守ることはできないと理解し、志村との対立を深めていくことになる。
- ほか、一介の武士が民衆の支持を集め英雄視されることも快く思っていない節がある。英雄となった何者かが民衆を扇動して戦でも起こそうものなら、民衆は(指導者による)反乱によって主君に背くことを覚えるとしている。
この思考に固執するあまり柔軟性に欠ける所があり、搦め手を用いれば攻略できる場面でも「誉れ」を示すことに拘ったりする。例えば小茂田浜の戦いでは蒙古相手に敗れ、彼奴らに正面突撃は通じないことを思い知ったはずであるが、後の志村城攻略では「誉れ」を示すために同じ手段で蒙古を突破しようとしていた。
(流石の仁もこの姿勢は看過できず、味方の犠牲を出さないために、志村を裏切って独断で行動することになった)
この「誉れ」への拘りっぷりには呆れている人も多く...
等、作中では散々な言われようだった。
プレイヤー視点で見ても、中盤以降は「仁の(冥人としての)やり方を批判し、そのくせ武士による蒙古討伐は上手くいかない」という描写が目立ち、人によっては「仁の邪魔をする無能な人物」に見えてしまうかもしれない。
それでも援軍として送られてきた本土の武士達は、仁よりも志村に従うことを選んでいたり、エピローグで武士よりも正体不明の精霊か妖怪のごとく吹聴された冥人を支持する民の様子を見て、初めて仁が「武士によるしっかりした統治」に誉が必要であった事に気づく等、志村がただ盲目的に「誉」を尊重していた訳では無い事はきちんと描写されている。
「誉高い武士」ではハーンを倒せなかったが、「誉なき冥人」ではその後の対馬を治められない…というのは何とも皮肉な話である。
誉れある余談を忘れるな!
- モチーフは現実の文永の役緒戦で元軍の対馬上陸を迎撃した地頭宗助國(宗助国)。残念ながら助國は志村と異なり戦死、その後は小茂田浜神社に祀られている。
- またGoT発売直後の2020年8月、現実の小茂田浜にて宗助国の銅像の除幕式が行われた。
- 名前の由来は映画『七人の侍』の登場人物である島田勘兵衛を演じた志村喬から。
- 好物は仁によると甘く煮た野菜と大盛りの白飯らしい。
関連タグはどこにある…
誉れなき関連人物には、情け無用…!
志村の甥。養子として大切に育てながら、武士としてあるべき礼儀作法や剣術を教えてきた。
しかし、とある出来事を境に彼とは袂を分かつ事となる。
- 五郎
卯麦谷の牢人であり船乗り。志村とは知人であり、鎌倉に援軍を請う際に船頭を任される事となる。
志村と知り合った経緯は禁止されていた中国の絹を密売していた事がバレた時に絹を燃やして処分する代わりに見逃してもらった事がきっかけ。
五郎はその頃から飲んだくれだったらしく、仁が彼を協力させた事を志村に報告したら 「酔っておったか?」 と真っ先に尋ねていた。
その作中を歩めば、お前も獣になるぞ(ネタバレ警告)
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守之段
「習わし、武勇、誉れ…それが我らが道だ。我らこそ対馬の勇士、我らこそ武士だ!」
序盤の小茂田の戦いにおいて、甥の仁を含めた80人余の武士を率いて対馬を侵略すべく上陸してきた蒙古軍と対峙する。蒙古軍の陣に一斉突撃を敢行するも圧倒的な兵力の前に武士団は壊滅し、志村自身も蒙古軍の捕虜となってしまい、金田城に幽閉される。その後は蒙古軍大将コトゥン・ハーンに降伏し蒙古に味方するよう何度も唆されるも全て拒絶していた。
後に金田城に攻め入った仁達に救出され、以降は彼らと共に戦いを続けていく事となる。
破之段
「今日は伯父と甥として戦に赴くが、明日は共に勝利を祝おう。父と子として」
救出された後は仁と共に戦い続けて共に蒙古軍を追い詰めていく。蒙古軍に占領された三戸岳砦を奪還し、鎌倉への援軍要請の解文を届ける船を守り抜いた後には志村家を仁に相続させる事を決断する。
戦支度が済み、志村城奪還を目指すべく結集した武士団は、本土から救援に来た武士と合流して志村城を共に攻める事となる。しかし戦況は好調だったものの主郭への橋を破壊された事で進軍を阻まれて膠着状態に陥ってしまう。
志村は橋の修繕を行った後に夜明けに再び攻撃を行おうとするが、その犠牲を顧みない策を無謀だと非難した仁は単身城に忍び込み、蒙古軍を毒で全滅させる。
その惨状を目の当たりにした志村は怒り、仁を叱りつけた。
「わしに背いたな!」
「民を守る為にしたまで」
「これが誉れある戦いと言えるか!?」
「おかげで勝てたろ!?」
「民を恐れさせ、世を乱してか!?」
「これは戦です」
「それでは蒙古と同じではないか! …誉れはどこにある」
そして仁の肩を掴み、仁に非道な戦法を吹き込んだとしてゆなに責任を負わせようとする。しかしそれは何としてでも仁に家督を継がせたいという彼を溺愛する志村の思いからくる物であった。
「皆に伝えよ。お前の名は志村仁。将軍様の御家人である、わしの息子だと…」
しかし正攻法では蒙古には勝てないと知っていた仁は誉れにこだわり続ける志村の姿勢に失望し、彼の願いをきっぱりと断った。
「お断りいたす。俺は冥人だ」
「…ならば、裁きを受けてもらう」
そして仁は武士に捕らえられ、志村は仁に志村家を譲る幕府からの下知状を焚き火の中に躊躇いながらも捨てるのであった。
離之段
再警告、以降は物語の結末を含みます。閲覧の際はご注意ください。 |
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仁が毒を使った事で蒙古も毒の製法を覚えた事に志村は憤慨し、仁の処罰を本気で考えるようになる。
しかし仁がハーンを討つべく志村に助力を請う手紙を届けると、志村も武士と共にハーンがいる泉の港へ軍勢を率いて攻め入る。
激戦の末にハーンを討ち取った仁だが、志村が青海湖のほとりで仁に会う為に待っていると知った彼は一人で青海湖へと向かう。
志村が待っていたのは仁に別れを告げる為であった。冥人として戦う仁はもはや武士としての身分を失い、境井家も改易され取り潰される事となった。
「日ごとにお前の大義に民が集まっておる。将軍様は案じておいでだ。このわしもな」
「それは無用の思案かと」
「新しい武家が来たら、民は頭を垂れるのだろうか。冥人の名の下、背を向けるのでは?」
「左様な事はさせません。言って聞かせます」
「お前が手本を見せたのだ。わしに背いた事で。民は主を裏切る事を学んでしまった」
「お前もいつの日か、背を刺されるとは思わぬのか?」
そして二人は仁の父である正の墓まで来た。
「お前は謀反人になった」
「私を斬れと?」
「冥人は罪人だ。武士に逆らうよう民を唆し…」
「己を守る為です」
「毒でか? 蒙古の手に渡ったのだぞ」
「あのままでは民を犬死させていました」
「誉れを捨てたな…」
「誉れが何だと仰る」
志村が仁を待っていた本当の理由は、幕府から仁を追討する下知が届いた事で彼を直々に処罰する為であった。仁に辞世の句を詠ませた後、彼と決闘する事となる。
熾烈な剣戟の末に志村は敗れ、仁にこう願い出る。
「誉れある…最期を遂げたい」
仁を愛する思いと、誉れある武士として邪道に堕ちた「冥人」を討たなければならない義務、そして自分が教えた武士のあるべき姿が結果的に冥人を生み出してしまった事への責任の間で揺れていた彼は、仁に敗北した事で武士にも示しがつかなくなる事を恐れていた。一生その思いに苛まれながら生きるくらいならば武士らしく、潔くここで死を選ぼうと決断する。
ここで仁は彼を生かすか殺すかという究極の選択を迫られた。
- 「生かす」を選択した場合
「誉れを失くしても…我が父だけは斬れません」
仁は志村に跪き、斬る事を断った。
「これから先、罪人として追われる事になるぞ」
「承知の上」
仁は立ち上がり、冥人の面頬を身に着けた。志村は冥人としてゆっくりと立ち去って行く彼の後ろ姿を呆然と見つめながらストーリーは終了する。しかしそれは志村にとっては我が子を自らの誉れへの戒めとして生きていく事を強いられる事でもあった。
- 「殺す」を選択した場合
「その名を語り継ぎましょう。猛き武者、聡き長、我が父…」
「息子よ…浄土で待っておるぞ」
「…はい」
仁は小刀を抜き、志村に最期の別れの言葉を告げて介錯した。志村は息絶え、仁は号泣してストーリーは終了する。しかしそれは志村にとっては武士としての誉れを守り抜いたという事でもあった。
なお、どちらを選んでもそれ以降は彼はストーリーには登場しなくなる。