無題byかんづめ一般人物持明院基定0じみょういんもとさだ持明院基定とは江戸時代初期の公卿。pixivで「持明院基定」のイラストを見るpixivで「持明院基定」の小説を読むpixivで「持明院基定」のイラストを投稿するpixivで「持明院基定」の小説を投稿する0編集する編集履歴37000更新:520日前問題を報告英語版記事を作る目次1 概要2 プロフィール3 経歴4 外部リンク5 関連タグ概要大沢基宿の子、持明院家当主、官位は正二位、権大納言。プロフィール時代江戸時代生誕慶長12年4月10日(1607年5月5日)死没寛文7年10月17日(1667年12月2日)官位正二位、権大納言主君後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇氏族大沢氏→持明院家父母父:大沢基宿、養父:持明院基久妻持明院基久の娘子基時、保春、高倉永敦室、稲葉正往継室経歴慶長20年(1615年)の大阪の陣で基久が死亡し持明院家を継ぎ従五位下となる、侍従、左少将、左中将に進み寛永17年(1640年)に従三位となる。正保2年(1645年)に参議に就任、翌年に臨時奉幣使となる。慶安5年(1652年)に従二位・権中納言、万治4年(1661年)に正二位、翌年の寛文2年(1662年)に権大納言となる。外部リンク持明院基定 - Wikipedia関連タグ公家 江戸時代 大沢氏 持明院家関連記事親記事持明院家じみょういんけ兄弟記事藤原基頼ふじわらのもとより藤原通基(中御門流)ふじわらのみちもと持明院基家じみょういんもといえ持明院家行じみょういんいえゆき持明院基宗じみょういんもとむね持明院家定じみょういんいえさだ持明院基規じみょういんもとのり持明院基哲じみょういんもとあきもっと見るコメントコメントが未記入です