概要
元々は1995年から1998年にかけて『新日本沈没』というタイトルで再映画化案がなされていたが、同時期に企画されていたこの『日本沈没1999』が先に映画化権を取得したため実現しなかった。なお配給は東宝ではなく松竹が行う予定だった。(『新日本沈没』が東宝)
1998年に松竹が正月映画として銀座東急ホテルで制作発表会見を行い、翌年1999年12月に公開を目指していた。
監督は平成ゴジラを手掛けた大森一樹。ストーリー面では大森監督と原作者・小松左京がどちらも阪神淡路大震災の被災者であったことから、その経験を活かし震災当時の若者たちによるボランティア活動、インターネットでの動向を盛り込むほか、原作小説にもあった『D-2計画』に重点を置いたものになる予定だった。
また、『新日本沈没』でも描かれる予定だった原発事故を取り入れることも検討されていた。
総製作費12億円、配収目標30億円の大作になる予定だったが、業績不振の松竹は制作費を調達できず、1999年3月5日の記者会見で当時の大谷信義社長が「検討中」とコメントし、同作の関係社員を異動させたことも明らかとなり、製作中止となった。結局、2000年の松竹の正月映画には大島渚監督作『御法度』となった。
日本沈没の再映画化は2006年の樋口真嗣監督版まで待たなければならなかった。