概要
少年時代は手塚治虫や真崎守といった漫画に打ち込み、高校時代に映画監督を目指して自主製作映画を制作し、村上知彦と知合う。
大学在学中の1973年から、村上や西村隆らと映画自主上映グループ「グループ無国籍」を結成。新開地の映画館で邦画のオールナイト上映企画を行った。また、やはり大学時代に完成させた16ミリ映画『暗くなるまで待てない!』が、自主映画ながらキネマ旬報ベスト10で21位に入るなど、高く評価される。
1978年、前年に「城戸賞」を受賞したシナリオを自ら監督した『オレンジロード急行』で商業映画デビュー。
1989年『ゴジラVSビオランテ』でゴジラシリーズに深くかかわるようになる。同作および『ゴジラVSキングギドラ』は平成ゴジラシリーズの方向性を決定づけたとされる。大森自身は、『ビオランテ』は大張り切りであったが、『キングギドラ』は苦し紛れの開き直りであったと述懐している。
『ビオランテ』当時はSFXが流行していたことで、大森も特撮について勉強していたが、監督と特撮監督が対等な立場であったことには驚いたという。撮影においては、特撮班と揉めるようなことはなく、互いにアイデアを取り入れるなど強調できていたと語っている。一方で、特撮シーンは特撮班の担当となるため、監督として主役のゴジラやクライマックスを撮影できないことは致命的だといい、特撮部分にも目を通したいと述べていた。
幼少期に鑑賞した『モスラ対ゴジラ』に感銘を受けたといい、モスラが登場する『モスラVSバガン』(未製作)や『ゴジラvsモスラ』の脚本を手掛けたほか、『ビオランテ』も女性的な怪獣のイメージや戦闘シーンの多さなど影響を受けているという。『モスラ』では、自身で監督を務める意志もあったといい、モスラに思い入れがあったことから残念であったと述べている。