概要
1971年10月27日生まれ。
大阪府高槻市に生まれ、阿武野中学校→高槻南高校→大阪商業大学とサッカーを続ける。高校時代にセンターフォワードとして日本ユース代表に、大学時代にバルセロナ五輪代表候補に選ばれる。大学まではセンターフォワードやサイドアタッカーとして活動したが、浦和レッズに入ってからはサイドバックにコンバートされる。スピードがあるため、タイミングを見て攻め上がることを得意としていた。
中島豪、城定信次の台頭や、土橋正樹が左サイドバック起用されることもあり、徐々に出番を失い、1999年からは東京ヴェルディ、アルビレックス新潟へと移籍。新潟ではJ2優勝J1昇格。
右利きではあるが両足でボールが蹴れたため、主に左サイドバックをつとめ2003年に引退した。
選手引退後の2004年からは浦和レッズ・ハートフルクラブ、コーチに就任。
2008年、公認指導者S級ライセンスを取得。
2010年にアルビレックス新潟シンガポールの監督に就任。パスをつないで相手のゴールを目指す攻撃的なサッカースタイルで、2011年はシンガポール・リーグカップ(英語版)でクラブ史上初となるタイトルを獲得、シンガポール・カップに準優勝したほか、2011年・2012年・2013年とリーグ戦で終盤まで優勝争いを演じた。2011年、Sリーグ年間最優秀監督に選ばれる。2013年シーズンをもって、アルビレックス新潟シンガポールの監督を退任。
2014年8月、タイ・ディヴィジョン1リーグ(タイ2部)・アユタヤFCの監督に就任。
2014年12月18日、J1・柏レイソルのコーチに就任することが発表された。2016年1月、柏レイソルコーチを退任。
2016年2月、タイプレミアリーグ・BBCU FCの監督に就任したが、4月25日に解任された。
2016年4月、タイプレミアリーグ・チャイナートFCの監督に就任したが、6月に退任。
2017年、ブラウブリッツ秋田の監督に就任。同年J3リーグ優勝。JリーグアウォーズにてJ3優秀監督賞を受賞。
2018年7月に秋田との契約を解除。
2018年12月、奈良クラブの監督に就任すると発表された。2019年の1シーズンで退任。
2021年より京都サンガF.C.のコーチに就任。
エピソード
高槻南高時代、お笑いコンビナインティナインの2人(当時サッカー部)が所属していた茨木西高と対戦した。岡村隆史が『削ったれ』と思いスライディングを試みるもジャンプで軽くかわされる。矢部浩之は幼少期から杉山の事は知っており、「上手すぎて、ずっとFWで10番だった。でもプロに行けばサイドバックをやっていて、プロとは別モンなんやな」と回想した(『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)より)。