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村松殿

むらまつどの

村松殿とは、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。真田昌幸の長女で、その家臣・小山田茂誠の妻。
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概要編集

名は於国(おくに)

永禄8年(1565年)、「表裏比興の者」と評された戦国大名・真田昌幸の第一子(長女)として生まれる。母は昌幸の正室・山手殿。弟に真田信幸(信之)真田信繁(幸村)がいる。姉弟仲は良く、弟たち二人からも慕われていたという。


同じく武田家遺臣である小山田茂誠に嫁ぐ。この婚姻で茂誠は以降真田一門に仕え、信之の代には家老となっている。夫妻は昌幸から与えられた領地である小県郡村松に移り住み、於国もその地名に肖り「村松殿」と呼ばれるようになった。子に小山田之知がいる。


一説では、武田家の滅亡により主家を失った昌幸が織田信長を頼り臣従した際、人質として於国を安土城に送ったとされる。天正10年(1582年)の本能寺の変にて信長が没した直後に失踪するが、その二年後に伊勢国桑名で保護され実家に戻ったという(ただしこれには異論も唱えられている)。


慶長5年(1600年)、関ヶ原での西軍の敗北により昌幸と信繁は蟄居処分となり、小山田家は代わり真田家当主となった信之に仕える。それでも家族ぐるみで親交の深かった信繁との交流は以降も続き、手紙で近況を伝えるやり取りは信繁が討ち死にする元和元年(1615年)まで続いたという。


寛永7年(1630年)6月死去。


創作上の扱い編集

戦国大戦編集

戦国大戦より真田姉弟

「Ver2.1 葵 関八州に起つ」よりUC村松殿が参戦。所属は武田家。弟の信幸に肩車されてる方。

ver2.1にして初めて登場した、1コストの騎馬隊。

計略が汎用計略なのが寂しいが、武力・統率ともに2で魅力持ちということを考えれば及第点。

メインのダメージソースとするには武力も統率も低いのでやや厳しいが、

相手の大筒妨害、槍を狙う鉄砲の射撃をキャンセルさせたり、采配や陣形と合わせて火力を上げたりするなど、

軽騎馬にはない「タッチ突撃での攻撃と移動力」を活かして使っていくことになるだろう。

その後真田が勢力として独り立ちしたがカードとして追加されることはなく、不遇の扱いを受けていた。


英傑大戦編集

第7回大戦スタンプキャンペーンで登場。所属は緋。戦国の時とは違い1.5コストの槍でスペックも5/5昂だがワラのパーツとしては役不足といったところ。

計略は士気2で勢力・時代不問、武力+2とステルスを20c。投げ計略なので連打できるのがウリ。ただし麻痺矢のようなアクション強化や勝海舟は不倶戴天の敵。


戦国無双シリーズ編集

村松殿(戦国無双)


真田丸(大河ドラマ)編集

演:木村佳乃


「松」という名義で登場。

本能寺の変の直後、明智光秀配下の兵に追われ、その際に琵琶湖に身を投げて行方不明となる。死亡したと思われていたが、出雲阿国のもとに身を寄せているところを偶然信繁たちが発見する。当時は記憶を失っており、声をかけてきた信繁たちに対しても冷たくあしらっていたが、彼らが阿国に頼んだことで帰省を許され(というより「踊りも歌も下手だからむしろ連れて帰ってほしい」と言われてしまった)、父・昌幸と再会し記憶を取り戻した。


関連タグ編集

戦国時代 真田家

真田昌幸(父) 山手殿(母)

真田信之(弟(長男)) 真田信繁(弟(次男))

小山田茂誠(夫) 小山田之知(子)

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