概要
第一次世界大戦後、「五大国」の1ヵ国となった大日本帝国は、当時の有色人種国家において数少ない独立国であり、唯一の列強であった。そんな、国際情勢において日本にもオリンピック開催の機会が回り昭和11年(1936)IOCで東京市での開催が決定した。
しかし、昭和12年(1938)支那事変(日中戦争)の激化に伴い軍部内から開催反対の意見が出て、結局帝国政府は開催を返上した。
意義
もしも、開催していた場合史上初の有色人種国家によるオリンピック、日本初のオリンピック開催となっていた。(後の1964年東京オリンピックで両方とも実現)
また、当時の帝国政府は1940年(=皇紀2600年)に合わせて「紀元二千六百年記念行事」を主催。(1940年は、神武天皇が即位してから2600年という節目の年であったため)
その行事のなかに、この東京オリンピックが含まれていた。また、冬季オリンピックも札幌での開催が決定しており、万博も東京での開催が決定していた。そのため、もしも実現していたら1940年は夏期東京オリンピック+冬季札幌オリンピック+東京万博となっていたはずだった。
関連タグ
東京オリンピック(1964)-戦後行われた有色人種国家初のオリンピック
東京オリンピック(2020年)-アジア初の再都市での開催
札幌オリンピック(1972)-有色人種国家初の冬季札オリンピック
長野オリンピック(1998)