概要
岩手県八幡平の中腹、標高1000メートルの高原にあった硫黄鉱山。実質的な操業期間は1911年から1969年までの半世紀ほどに過ぎなかったが、昭和の戦前から戦後にかけて東洋一の硫黄鉱山として栄華を極め、最盛期は1万5000人が住む企業城下町だった。
運営企業の松尾鉱業は鉱山鉄道(松尾鉱業鉄道)や硫酸製造工場をはじめ、バス・トラック運行、病院、郵便局、日用品販売部門までも抱え込み、「雲上の王国」と呼ばれた。
しかし、本鉱山による環境破壊も著しく、本鉱山から垂れ流された強酸性排水により、岩手県を縦断する大河北上川の本流は灰色に濁り魚は死に絶え、一時死の川と化した。
鉱山は1950年代に最盛期を迎えたが、1960年代に入ると一挙に衰退する。これは工場の排ガスから二酸化硫黄を抜き取る脱硫装置が普及したことにより、鉱山から掘り出される硫黄の需要がなくなったためである。松尾鉱業は1969年に倒産。1972年に松尾鉱業鉄道が廃止された頃には鉱山町も住む人がいなくなりゴーストタウンとなった。
所有企業の倒産・消滅により、毒水の湧き出る廃坑の扱いが宙に浮いてしまったため、この後始末をどうするかが問題となり、通商産業省が排水処理施設を建設した。結局、この施設は岩手県が引き取ることになり、エネルギー・金属鉱物資源機構に運営を委託し、年間約900万立方メートルもの有害排水を処理しつづけている。