民主集中制とは、形式上民主主義は残しつつ、中央集権を推し進める政治形態。
歴史
マイケル・ウォーラーはいう。「この概念(民主集中制)は中央集権と民主主義の矛盾した要素の
弁証法的統一を意味し、
様々な解釈と多様な適応がされてきた」
起源はロシア民主労働党によって1905年に定式化され、
後にレーニン指導下のロシア共産党が、中央集権が民主主義に優越するという正統派的解釈の誕生から。
転換点の第一は、〈1921〉年
ロシア共産党による第10回大会で分派活動を禁止する「との統一について」の決議から。
分派の禁止と不可分に結ばれたことで、民主集中制は大きく変質。
選挙制は擁護されたものの、選挙目的の組織活動が禁忌になったことで、
候補者リスト方式による事実上の任命制と化した。
転換点の第二は、〈1920〉年
世界革命を目指すコミンテルンが、第2会大会で「加入の為の二十一か条の条件」を採択して、
「民主主義的中央集権体制(民主集中制)の原則に従って組織されなければならない」と明記したこと。
これによって民主集中制は、ロシア共産党から各国共産党に輸出された。
スターリン主義の確立する1930年代のソ連共産党では、
民主集中制の下、更なる党の多数派思想への統一化が進められた。
日本共産党
他国共産党の場合、伊共産党は1989年に、
仏共産党も1994年に、民主集中制を放棄している。
ただし、日本共産党の規約では、「民主集中制を組織の原則とする」とし、
その基本として、これら五つを示している。
「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」
「決定されたことは、みんなでその実行にあたる。
行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である」
「すべての指導機関は、選挙によってつくられる」
「党内に派閥・分派はつくらない」
「意見が違うことによる、組織的な排除を行ってはならない」
また、日本共産党は民主集中制を取り入れている為に、
党中央が作成する党大会の議案は大幅な修正が行われず、人事も事実上任命制となっている。
綱領や規約の解釈権他党中央に権力と信頼が集中しており、
党委員長の退陣と党首公選制導入を求めた党員が除名されるような歪みも生じてしまってのが実情。
とはいえ、機関紙の臨時号には民主集中制の廃止を求める少数派党員の意見を掲載することもあり、民主集中制に対する批判を徹底的に弾圧しているというほどではない。
また、新左翼が軒並み緑の党に転換した欧州とは異なり日本の場合はほとんどの新左翼党派はそのまま過激派として存続していることが多く、その中には民主集中制を放棄したら党内派閥として「復帰」する事を明言する党派も存在しており、それが現状民主集中制維持が党内多数意見である一因となっている。実際に日本社会党の衰退の一因として民主集中制を否定した事により発生した新左翼の加入戦術や常態化した派閥争いを挙げる論者もかなりおり、こうした現状では民主集中制の放棄は困難というのが実情である。
創作では
ラノベでは帝国が推薦した人物のみ投票できる、実質的な民主集中制が登場することもある。