概要
主に民主主義を揶揄するために使用される用語で、「愚民・暴民による政治」という意味であり、『衆愚政治』とも呼ばれている。
民主制では民衆の行動により多くが左右される。
だが当の民衆が知識・良識などの欠如、あるいは情報操作などにより、自国の政治に関して無関心で国や弱者を改善させるような選択をとらず、誤った意思決定を行う状況を指す。
個々がひたすらに自分の利益しか考えなかったり、いい加減だったり歪んでいたりするままで進んでゆき、中には正論を解く少数派を数の暴力ですり潰すような悲劇もまかり通る。
詳細
民主主義の欠点
民主主義は大衆迎合主義やソフィスト等、一般人の不安を煽り有権者が知ることや考えるとこ自体を拒否したがるように仕向けるような情報操作に対しては非常に脆い。
その点が欠点・弊害であり、有権者が愚民あるいは暴民である場合、民主主義は得てして良い方向には進まないといわれる場合があり、この思想は古代ギリシャにおいて「優秀なトップによる独裁」が検討された場合があるが、それは実施を試みたがうまくいかなかった。
民主主義に代わる支配体制
それでは民主主義に代わる方法としてはどのような制度があるかといえば、以下のとおりである。
実際のこれらのシステムは「善良かつ有能な」という前提条件がつくが、たいていはそこでつまずいており、官僚等による支配もやはり支配層内部の派閥等の争いや「組織の巨大化によりその組織が奉仕する対象よりも組織自体の利益を優先しだす」法則により失敗しており、この点からも民主主義は、決して理想の制度というわけではないのであるものの、それ以外の制度が現状では論外であるといえる。
ただし民主主義も「善良かつ有能な多数の民衆」がいなければ、間違った方向に進み続け誰も責任を取らず止まらない。
そして独裁や王政ならば、善良で勇敢な者達が一定数集まる事で起こる「革命」で倒せば一応は済むが、暴民・衆愚政治では選挙、民意と言う最悪の盾が腐敗政治、搾取体制を守り続けてしまう。果てにはそれすら行う事が困難になり、泥沼の搾取と貧困の連鎖社会を子に延々と残してしまうと言う問題が、現代の日本国から見えてきている
事例
これらの事例は民主主義に必要な民衆の成熟が不完全、あるいは政治の腐敗、または外的要因により発生するとされる。
古代ギリシャ
古代ギリシャのアテナイにおいては公職を希望者によるくじ引きで決定していたが、これは有能な人物が選ばれるとは限らない、というデメリットが存在した。
ドイツ
現にドイツにおいてアドルフ・ヒトラーが率いたにナチスよる独裁政権が誕生したのは、実はワイマール共和国の混乱、これは外的要因と内的要因があるのであるが、それに失望した国民が民主主義により極右である国家社会主義ドイツ労働者党を支持したためである。
日本の事例
大日本帝国においては西洋化の為に建前とは言え民本主義( 体制の関係上民主主義という言葉は使用されなかった )の名の下、限定的(高額納税者+ヤマト民族系の男)であるにせよ民意を重んじる傾向が存在したものの、その後政治家は国民のことを考えない科のような政治的闘争に明け暮れ、さらに汚職も多くあり、そのことが陸軍( 二・二六事件 )海軍( 五・一五事件 )によるクーデター未遂が発生し、軍部大臣現役武官制が復活、軍部による政治介入が大きくなり、政党政治に愛想をつかした国民は昭和15年には当時の同盟国ドイツやイタリアのような、全体主義的傾向を持つ強力な指導体制を望む声が大きくなり、大政翼賛会が成立したが、結果は変わらず、第二次世界大戦敗戦により支配権を失うまでこの状況であった。
大政翼賛会
国民の声に応えて政治家たちは「バスに乗り遅れるな!」というスローガンの下、当時の合法であった政党がほぼ解散して大政翼賛会を結成し、強い指導体制を構築していこうと試みたものの、ほとんどの政党が合流したため旧政党間の争いが派閥争いとしてきっちり継承され、政治組織であれば当然あるべき綱領・宣言の類がまとまらない体たらくであり、初代総裁の近衛文麿は「大政翼賛会の綱領は大政翼賛・臣道実践という語に尽きる。これ以外には、実は綱領も宣言も不要と申すべきであり、国民は誰も日夜それぞれの場において方向の誠を致すのみである」と述べ、政治的方針が統一されることはこれからもないと開き直ったが、国民のほとんどはひとつの組織にまとまったのだから大丈夫とでも思ったのか、特に大きな批判はなかったとされたものの、昭和17年の衆議院選挙においては2割弱の議席を落とすなどしており、政治のグダグダっぷりは結局変化なく、終戦までこれは続くことになる。