概要
関ヶ原の戦い後の1603年、備前・美作・備中東部を領していた岡山城主小早川秀秋が逝去し小早川家が無嗣改易された際、備前は池田忠継(輝政の次男)に与えられ、美作には信濃川中島藩主の森忠政が移封された。忠政は標高50mの鶴山に築き鶴山を津山と改名し城下町を築いた。
明治維新後の廃城令で主だった建物は取り壊されたが、残された高さ45mに及ぶ石垣は壮観である。
2005年には築城400年記念事業として備中櫓を再建し、桜とともに鶴山公園の名所として親しまれている。
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名古屋山三郎…忠政の義兄。津山城普請の時、井戸宇右衛門との諍いで死亡した。