概要
家祖である松平光長は、宗家である越前松平家2代当主・忠直の長男だったが、忠直が不行跡により福井藩主の座を追われたことにより、光長の叔父で越後高田25万石を治めていた忠昌と所領を入れ替える形で越後高田へ移ることになった。
しかし光長の跡目争いから始まったお家騒動(越後騒動)によって1681(延宝9)年に改易処分となり、1698(元禄11)年に養嗣子の宣富に美作津山10万石を与えられ再興することになった。
歴代当主
- 松平光長
- 松平宣富:松平直矩(陸奥白河藩主)の三男
- 松平浅五郎:宣富の長男
- 松平長熙:松平知清(陸奥新田藩主、直矩の四男)の三男、末期養子のため5万石へ減封。
- 松平長孝:松平近朝(出雲広瀬藩主)の三男
- 松平康哉:長孝の長男
- 松平康乂:康哉の次男
- 松平斉孝:康哉の三男。10万石へ加増
- 松平斉民:11代将軍・徳川家斉の一五男
- 松平慶倫:斉孝の四男
関連タグ
童子切安綱…津山藩に代々伝わった。