松平直矩
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まつだいらなおのり
松平直矩とは江戸時代前期の大名。重なる領国換えから「引っ越し大名」と渾名された。
1648(慶安元)年に父の死により5歳で家督を継いだが、当時治めていた播磨姫路15万石では不適当と評され、越後村上(新潟県村上市)へ移封されてしまう(1回目)。
1667(寛文7)年に姫路へ復帰した(2回目)が、親族である越後高田藩のお家騒動(越後騒動)の調停に際し不手際があったと評され、1682(天和2)年に8万石没収の上豊後日田(大分県日田市)へ懲罰移封された(3回目)。
1686(貞享3)年、3万石加増の上で出羽山形(山形県山形市)へ10万石で移封(4回目)。さらに1692(元禄5)年に5万石加増の上で陸奥白河(福島県白河市)へ15万石で移封した(5回目)。
260年以上にわたる江戸時代最多となる生涯5回の移封を受け、おまけに途中減封処分を受けたこともあって、多大な借財を背負う羽目になったという。
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