生没年 1836(天保7)年~1890(明治23)年
官位 従四位 左近衛権中将・越前守→従二位
越後糸魚川藩主・松平直春の四男。糸魚川松平家は、宗家である越前松平家3代当主・松平忠昌の孫・直堅を祖とする家だが、途中で養子が家督相続しているため、血筋としては徳川家康の異父弟である松平康元の子孫である。
経歴
1857(安政4)年、直春の隠居により糸魚川藩を相続したが、翌58年に安政の大獄により福井藩主・松平慶永の強制隠居に伴い、幕命により福井松平家を相続し福井藩主となる。但し実権は慶永や横井小南ら家臣団が握っており、お飾り同然の立場であった。
1865(慶応元)年の第一次長州征伐では副総督となる。明治維新後は福井藩知事となり、明治17(1884)年に伯爵に叙爵されたが、明治21(1888)年に慶永の功により侯爵に陞爵された。