概要
生没年 1598(慶長2)年~1645(正保2)年
官位 正四位下 参議・伊予守
経歴
1607(慶長11)年、父秀康が亡くなった直後に、叔父で江戸幕府2代将軍・徳川秀忠に謁見しそのまま預けられる。同年上総姉ヶ崎藩1万石を与えられ大名となった。
1614(慶長14)年からの大坂の陣に秀忠軍の一員として随行し、夏の陣では自ら手勢を率いて同母兄で福井藩主である忠直の麾下に入って戦い、自ら首級を上げた。
その後は常陸下妻3万石を皮切りに、信濃松代12万石、越後高田25万石と加増を重ねていき、1623(元和9)年に素行不良をとがめられた忠直に代わって、福井藩を相続することになった(但しペナルティとして67万石から50万石に減封。高田藩には忠直の嫡男・仙千代が入部)。
1645年死去。次男の光通が跡を継いだ。