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渡邉美樹は神奈川県出身の実業家(経営者)・政治家。ワタミ株式会社、グループ創業者、学校法人郁文館夢学園理事長。


人物編集

「不満不平を乗り越えれば夢に近づける」をスローガンに仕事への献身を通して自己の成長、そして社会貢献につなげる必要性を説く情熱的な実業家である。多くのビジネス書を出して自らの考えを広め、多くの心酔者を産んでいる。

一方で、ブラック企業を彷彿させる過激な発言でも知られており、その独自の経営理論には批判の声も大きい。


経歴編集

神奈川県横浜市出身。

野球に熱中する小学生時代を送っていたが、10歳で母と死別、また父の経営していた経営会社が清算する、といった苦難に見舞われる。


近所に住んでいた大学生に触発され、キリスト教の布教活動を行なっていたが、中学生時代にその教義に疑問を抱き、卒業とともに決別した。

こうした経験が、起業精神を抱いたきっかけとなり、また現在の思想の土台となっていることを、後に本人は語っている。


明治大学商学部を卒業後、佐川急便のドライバーを務め、1年間で稼いだ300万円をもとに有限会社渡美商事(現在のワタミの前身)を起業する。

以降順当に経営拡大を続け、2009年、自社の発展を見届けて社長を辞任、会長に就任した。

現在も、取締役最高顧問、取締役会長など肩書きを変えながら、会社経営に関わり続けている。


2011年からは政治活動も行なっており、同年の東京都知事選には3位に敗れたものの、2013年の参議院選挙では自民党の比例代表候補者として当選を果たした。

その後は(良くも悪くも)パッとせず、2019年に任期満了で政界を引退した。


引退後は政界入りの際に公言した「(ワタミには)1000%戻らない」という宣言をあっさり反故にして、前述の通り同社の経営中枢に出戻っている(取締役・CEO)。


評価編集

運送業の現場から起業を始めるという、文字通り裸一貫の状態から、自社を大手チェーン店まで成長させた経営手腕には著しいものがある。

また、30億という巨額の負債を抱える郁文館学園を買収した際には、金融機関に金利の減免を交渉するなど、同校の経営改革に取り組み、赤字経営からの脱却に成功している。


その一方で、後述の過労死問題や、過激な発言などからも窺えるように、一般的な経営者としての道徳を備えているとはいい難く、週刊文春には「ミスターブラック企業とまで称されている。


ネット上での批判も強く、「ブラック企業の権化」扱いされることも少なくない。

また、学校経営についても、あまりにも商業主義的であるとして、学園の元校長から痛烈に批判を受けたことがある。


過労死問題編集

ワタミでは、過労死・自殺が相次いでおり、ブラック企業であるとの批判が強い。

2008年に、社員女性が極度の過労による精神障碍を原因に自殺したことは、ニュースでも大々的に報道され、過労死を頑なに否定する渡邉氏の姿勢と合間って、強く批判された。

この事件は2015年に和解が成立し、1億3,365万円の「懲罰的慰謝料」を認め、「全従業員に対する過重労働再発防止策を制定」「謝罪文のウェブサイト掲載を1年間続ける」とする和解が締結された。


問題視される発言編集

過労死を是とし労働者の人権を無視している、とも取れる発言が多く、物議を醸し出している。


過去に問題になった発言例編集


「たとえ無理なことだろうと、鼻血を出そうがブッ倒れようが、無理矢理にでも一週間やらせれば、それは無理じゃなくなるんです」

「たとえばビルの8階とか9階で会議をしているとき、『今すぐ、ここから飛び降りろ!』と平気で言います」

「お話を聞いていますと、週休七日が人間にとって幸せなのかと聞こえてきます」

365日24時間死ぬまで働け」(なお、本人は「常に仕事のことを考えていて欲しい”という意味だ」と釈明している)


政治活動、思想編集

  • 憲法9条の改正に賛成し、自衛隊の役割や限界を明記
  • 集団的自衛権の行使容認に賛成
  • 靖国神社に首相や閣僚が参拝することは問題ない
  • 村山談話・河野談話の見直し
  • 原発は必要だが将来的に廃止

渡邉氏は教育に対する関心が深く、私立郁文館を買収、ワタミの経営理念に基づいた教育を行なっている。また、カンボジアなどに学校を建設している。


第1次安倍晋三内閣では教育再生会議委員を務め、2011年に大阪維新の会の要請に応じて大阪府及び大阪市の特別顧問に就任。同年、無所属で東京都知事選挙に立候補した(3位落選)。


2013年には、ワタミ会長を辞し、自民党から第23回参議院議員通常選挙(比例区)に出馬。この擁立は安倍晋三総裁の直々の要請によるものであったが、自民党には抗議が殺到し平沢勝栄が立候補辞退を希望すると取れる発言を行い、石破茂が言及する程の異例の事態となったが、選挙では自民党の躍進の波に乗り当選した。


この結果に渡邉は「有り体な言葉ですけど『正義は勝つ』と思っています」と発言した。


ただし比例代表非拘束名簿式の得票数では、自民党の候補者18人中16位である

(自民党、という党が極めて大きな力を持っている上であることも追記しておく)

前述の通り、渡邉の出馬及び当選に関しては自民党支持者からも不満の声が少なからず上がっている。


しかし議員になって以降はすっかり影が薄くなってしまい、「アンチにすら注目されない」状態が政界を引退するまで続いた。

事実、渡邉の議員としての功罪はほとんど報じられておらず、せいぜい2013年に日韓請求権協定の件で大韓民国の高官らと現地で意見交換をしようとして門前払いを喰らったり、その後2019年に今度は逆に大韓民国の議員団が日本へと乗り込んできた際、自民党議員として唯一彼らと面会し、先方に「日韓関係がどれほど悪化しているかを肌で痛感した」と言わしめた程度であろうか。


なお先述した通り2019年で任期は終了したのだが、その少し前には「何一つ結果を残せなかった」「今の政権は無駄遣いが酷すぎる」として、任期終了を以って政界を引退することを明言していた。

この政界引退の理由についてはアンチが大多数を占めているネット上でも支持する声が上がった。


ブラック企業の権化としての扱いをされたワタミに関しても、彼の在任期間中に結果としてその体質を多少なりとも改めており(実際あるネットニュースで「もはやホワイト」と評する記事が出ている。)、色々な意味で一つの時代の終焉となった。


関連タグ編集

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