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概要

狭穂彦王(さほひこのみこ)とは、日本の皇族。『日本書紀』では狭穂彦王、『古事記』では沙本毘古王。

彦坐王の子で、開化天皇の孫に当たる。日下部連甲斐国造の祖。

母は春日建国勝戸売の娘、沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)。同母の兄弟に袁邪本王(おざほのみこ)、室毘古王(むろびこのみこ)、垂仁天皇皇后狭穂姫命(さほひめのみこと)がいる。

垂仁天皇5年に狭穂姫命天皇暗殺を試みさせるが失敗。叛乱を興すものの、追い詰められ兄妹ともに稲城の中で自殺する。この「狭穂彦王の叛乱」は、『古事記』における最も物語性の高い記述とされる。

「狭穂彦王の叛乱」の詳細は狭穂姫命の頁を参照のこと。

関連タグ

古事記 日本書紀

彦坐王 狭穂姫命 垂仁天皇

銀の海金の大地

※「狭穂彦王の叛乱」をモチーフに書かれたライトノベル。

外部リンク

wikipedia:狭穂彦王 より引用

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