経歴
元は剣埼型潜水母艦「剣埼(つるぎざき)」であった。
高速給油艦→潜水母艦→航空母艦と頻繁に艦種が変更され、名前も航空母艦になったときに変更された。
1934年12月起工(高速給油艦「剣埼」)
1935年6月進水
1939年1月竣工(潜水母艦「剣埼」)
1940年11月空母への改装開始
1942年1月日竣工(航空母艦「祥鳳」)
1942年5月7日沈没
1942年5月20日除籍
歴史
ロンドン海軍軍縮条約により空母の保有量を制限されていた日本海軍は、後に空母に改造できる艦船を建造する事で条約の制限を乗り切ろうとした。
そのような意図で建造された一隻が祥鳳の前身である「剣埼」であり、当初は高速給油艦として設計された。
だが、建造中により空母に改装しやすい潜水母艦に設計変更され、1939年1月15日横須賀海軍工廠で竣工。
さらに軍縮条約脱退を受けて、1940年11月から計画通りに航空母艦への改装工事に入ったが、そのままでは空母として遅すぎたため、問題のディーゼル機関を高速のタービンと交換した。だが予想以上に工事は難航し、結局機関換装を含めて改装には約1年以上かかり、起工から6年後の1941年12月22日に改めて空母「祥鳳」として竣工した。(この時のノウハウが後の改装空母郡や姉妹艦「瑞鳳」の改装に生かされており、瑞鳳は特に問題もなく空母化することに成功している)
その後の1942年1月26日に正式に第4航空戦隊所属となり、横須賀港出港しトラックへの航空機輸送任務につく。
ちなみに型式としては祥鳳型1番艦なのだが、書類上では改装空母を一纏めにした型式「瑞鳳型(瑞鳳が一番改装が早かったため)」の2番艦という位置に収まっている。
1942年5月7日のMO攻略作戦に参加。これが祥鳳にとっての初実戦となる。
このMO作戦とはニューギニア島の南東岸にあるポートモレスビーを占拠し、英国とオーストラリアを分断し、オーストラリアを太平洋上に孤立させる、太平洋攻略において重要な作戦であった。
だが日本海軍は真珠湾攻撃から続く連戦連勝に完全に慢心しており、さらに一ヶ月後に同じくらい重要なMI作戦が控えていたこと、敵空母戦力はサラトガ一隻だけだと侮っていたことなどから上陸部隊の護衛空母は軽空母である祥鳳一隻しか派遣されなかった。
「さすがにこれはマズイだろ」という現場の判断により、急遽空母「翔鶴」「瑞鶴」が助っ人として呼び出された。だがその2隻も島を挟んで反対側に位置する別働隊として動いていたため、結局揚陸部隊の護衛は祥鳳一隻に任されるハメになってしまったのである。助っ人とはなんだったのか…
このMO作戦を阻止すべく珊瑚海に現れたのは空母「ヨークタウン」と「レキシントン」の2隻を中核とする米海軍機動部隊、指揮を執るのは名将フランク・J・フレッチャー少将。こうして史上初の空母同士の海戦「珊瑚海海戦」が幕を開けた。
はじめ、翔鶴の偵察機が敵空母艦隊を発見したとして、翔鶴と瑞鶴は80機近い艦載機を攻撃に向かわせた。だが実際はそれは敵輸送部隊であり、兵員輸送用のタンカーを空母と見間違えた誤報だった。
しかし米偵察機も同じようなミスをしており、本来は敵味方が行き違いを起こすはずだったが、不幸にも米軍機の進路上に祥鳳たち揚陸部隊はいたのだ。
敵機接近に際して祥鳳も艦載機を上げるもの、いかせん軽空母1隻(約20機)と正規空母2隻(祥鳳への攻撃隊だけで約90機)では多勢に無勢で勝負にならず、祥鳳は敵艦載機からの一方的な攻撃を受ける羽目になった。
一応、祥鳳直衛の旧式の九六式艦戦3機がドーントレス爆撃機1機を撃墜したが、祥鳳は爆弾13発・魚雷7本・至近弾多数を受け、操舵装置が作動しなくなり直進しかできなくなった末に撃沈された。
これによって祥鳳は太平洋戦争において戦闘で最初に失われた日本海軍の空母となる。空母として竣工してからわずか5ヶ月ちょっとの短い生涯であった。
祥鳳の艦長・伊沢石之助大佐は祥鳳と最期を共にしようと艦長室に留まった。だが、沈没の衝撃で彼は外に放り出されて結果的に生還した。きっと、祥鳳が最期の力を振り絞って彼を守ったのだろう。
ちなみにこの時に伊沢艦長を含む祥鳳の生存者達を救ったのは漣である。
ちなみに「ヨークタウン」と「レキシントン」を指揮するフレッチャー少将は、当初は「祥鳳」撃沈後も再攻撃を行って日本軍揚陸部隊を壊滅させるつもりだった。だが、味方の輸送部隊が多数の日本軍艦載機の攻撃を受けたとの知らせを受け、付近に日本の大型空母の存在が確実となったため、警戒して一時後退した。これによって祥鳳は揚陸部隊の護衛という自らの任務を全うしたのだが、揚陸部隊はポートモレスビーに攻めこむことができず、結局MO作戦は失敗に終わってしまっている。
余談だが、元が潜水艦乗組員の休養所も兼ねた潜水母艦だっかためか、当時としては居住性はかなり上々であったことから、某大戦艦と似た「剣埼ホテル」というあだ名を“称賛”として貰っていたという。
剣埼での食事は肉じゃがやカレー、ビフテキなどが振る舞われたという。また、伊8など潜水艦の射撃訓練を大鯨と共に行なったこともある。
さらにもう一つ余談だが、アメリカ軍は祥鳳を「翔鶴型三番艦リュウカク(隆鶴?龍鶴?)」として当初は認識していた。これは珊瑚海海戦直前の昭和一七年四月にアメリカ軍が日本海軍の暗号の解読を進めていく中で、日本海軍にアメリカにとっては未知の空母が存在することを発見し、前年の昭和十六年八月と九月に翔鶴型空母の翔鶴と瑞鶴が就役していたので、この未知の空母も同型艦と判断した為である。
アメリカは正規空母「リュウカク」の轟沈を戦意高揚目的に大々的に宣伝しますが、後に誤りだとして珊瑚海海戦で沈んだのは軽空母「祥鳳」と訂正し誤認していたことを認めている。
同じような例としては一九四一年一二月十一日にフィリピンのルソン島でアメリカ軍が轟沈したとされる戦艦「ヒラヌマ」がある。
もっともこちらは別の艦艇を誤認した訳ではなく、全くの架空存在なのだが戦後もなおその存在がアメリカでは信じられていた。
共に航行していたと名指しされた榛名はいい迷惑である。
pixiv上でのタグとしての用法
現状、pixivにおいては(本艦に限った話ではないが)ゲーム「艦隊これくしょん」における擬人化キャラクターの投稿が支配的であり、祥鳳記事も同様の意図にて編集されている。
本艦の詳細については同記事を参照するか、もしくは擬人化キャラクターについて不快を覚える向きについてはwikipediaなどを参照されたし。