概要
「表千家」「武者小路千家」と並ぶ茶道の流派の一つで、三千家の中では最大勢力。
主な特徴として、以下の物がある。
- 茶を立てる時によく泡立てる(他2家はあまり泡立てない)
- 茶筅に白竹を使う(表は煤竹、武者小路千家は胡麻竹(染み竹))
- 菓子を入れる器は蓋なしのいわゆる鉢(他2家は蓋付きのいわゆる喰籠(ジキロ))
- 道具の箱の紐色が深緑(表は黄、武者小路は茶と紺)
- 女性の帛紗(ふくさ)の色が朱色(他2家は赤色。ちなみに男性は3家とも紫)
- 一畳を4歩で歩く(他2家は6歩)
- 部屋に右足から入る(表は左足、武者小路は柱側の足)
- 礼が角度によって違う三種類が存在(表は八の字に手をつき、両手の間を少し開けて、体を30度ほど傾ける、武者小路は左手が前になるように両手を合わせ、背筋を伸ばし頭を下げる)
稽古の際には師匠から「許状」と呼ばれる許可証が必要となる。一定の許状を修得することで、「資格」が手に入る。「資格」は下から順に、初級→中級→上級(助講師)→講師→専任講師→助教授となる。
歴史
千利休から数えて3代目に当たる千宗旦は、家督を三男の江岑宗左に譲り、自身は屋敷の裏側に「今日庵」と呼ばれる茶室を作り、四男仙叟宗室と共に移り住んだ。宗旦の没後、今日庵は宗室が受け継いだ。その後、加賀前田家や伊予松山久松家に代々仕官しており、8代一燈宗室は兄の表千家7代如心斎と共に七事式を制定するなどして千家を中興した。
幕末から明治にかけて、11代精中は外国人を迎えるための立礼式の茶礼を創案し、茶道の近代化に努めた。13代鉄中は、女学校教育の中に茶道を取り入れて茶道の一般化に尽力した。
戦後に入り、14代碩叟は学校教育における茶道の発展を図った結果、現在のクラブ活動における茶道部はほとんどが裏千家のものになっている。また、海外への茶道の普及にも尽力した。
関連項目
関連リンク
コンビ名の裏千家
浦島坂田船のメンバーうらたぬきとセンラのコンビ名。タグには上記イラストはなく、彼らのイラストのみ。
主なデュエット
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