概要
CV:西凜太朗
40歳まで社会人野球で選手をしていた。引退後は会社を辞め無職に。その間、河原で子供達に野球を教えていたが昨年から薬師高校の監督に就任。チームをベスト8まで押し上げた。
無職の期間中に借金を抱え妻に逃げられる。現在でも食事に肉を用意する事すらままならない極貧状態にある。
性格は豪快の一語に尽き、監督就任時には「自分を甲子園に連れて行け」という型破りな挨拶をしている。「練習は厳しく真面目にするが試合は選手たちが楽しむもの、グラウンドの中では選手たちが自分で考えるべき」という野球観を持つ。
豪快さは試合にまで表れ、オーダーを試合毎に変えたり、時にはイニング毎にバッテリーを入れ替えたこともある。
余談
- 元々は寺嶋の過去の読みきり漫画「橋の下のバットマン」(『ダイヤのA 公式ガイドブック 裏』に収録)のキャラで、実働2年で65勝を挙げた元プロ野球投手(しかし賭博容疑で球界永久追放)という設定になっている。この作品は雷市ら薬師高校も登場するが『ダイヤのA』では設定変更もされている。
- 社会人野球で40歳代まで選手をつづけた選手は実在している。またそれを超える選手もいる。
- 三菱自動車川崎(後・三菱ふそう川崎)⇒Hondaに在籍した西郷泰之は43歳まで現役を続けた。『優勝請負人』(都市対抗野球6回優勝したことから)、『ミスター社会人野球』と称されアトランタ五輪で銀メダルを獲得している。
- 函館のクラブチーム・函館太洋倶楽部の久慈次郎は試合中の事故で40歳で亡くなったが、日米野球で沢村栄治とバッテリーを組み、ベーブ・ルースらアメリカ選抜チームを苦戦させた。都市対抗野球の準優勝チームから1人選出される敢闘賞「久慈賞」は彼にちなんで命名された。
- 京大野球部出身で監督も務めたこともある沢田誠は選手として大阪ガス⇒立命館クラブ⇒鴨沂クラブ⇒DBグラッズに在籍、50歳を過ぎても現役を続けている。(詳細について1. 2.)