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郭璞

かくはく

起源4世紀に西晋・東晋で活躍した文学者・卜者。字は景純。後代の志怪小説では異能力者と描写されている。

概要編集

276年に河東郡聞喜県に生まれ、その文才と卜占術により、西晋東晋で重用された。


卜占・五行・天文暦法に通じていたとされ、三国時代の京房や管輅などの卜者を超えるほどの実力を持つともいわれていた。

そのため、後代の史書や『捜神記』などの志怪小説において、異能の予言者妖術師としてキャラクター化され描かれている。


文学者としては『遊仙詩』『江賦』などが代表作で、さらに古典の造詣が深かったために、現在伝わっている『爾雅』『方言』『穆天子伝』『山海経』などに注釈をつけたのは彼であるといわれる。


史書によると、八王の乱により中原が乱れ、将来的に異民族に蹂躙されることを筮竹(占い)で知った郭璞は、親類・友人を連れて江南に逃れ(このときも異能で難を逃れながら旅をしたという伝承がある)、その才を見抜いた司馬睿(後の東晋の元帝)の腹心の部下であった王導に招かれて参軍(軍事の相談役)となった。


東晋が興ると様々な瑞兆を予言し、『江賦』『南郊賦』といった詩を献上したことから、元帝からも寵愛されることになったが、324年に王敦が反乱を企てた際に成否を占わせたところ失敗を予言したために処刑された。享年49歳。

関連タグ編集

中国史 西晋 東晋 文学者 占い師 予言者


山海経 捜神記

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