概要
原話は、江戸時代中期の1763年(宝暦13年)に発行された『軽口太平楽』に収められている。
現在知られているものは明治期に東京で改変されたもの。
あらすじ(酢豆腐)
ある夏の昼下がり。暇な若い衆が寄り集まり暑気払いに酒を飲もうと相談をしているが、「宵越しの銭は持たない」主義の江戸っ子たちには金がない。酒はどうにか都合するとして、肴をどうするかということで皆で話し合った。条件として、
- 安いこと
- 数があること
- 誰の口にも合うこと
- 腹にたまらないこと
- みてくれが良いこと
- 衛生に好いこと
以上の6つの条件を満たさなければならず、議論百出の体であった。
ある男が糠床の底に残っている古漬けでかくやの香こ(糠漬けの古漬けを刻んでミョウガや生姜を薬味として添えた料理)を作ればいいと提案する。これは妙案だと皆喜ぶが、手が糠味噌くさくなるのがいやなので古漬けを引き上げる役を引き受ける者がひとりもおらず、暑さも相まって喧嘩になりかけた。
やがて兄貴分の男が、昨夜豆腐を買ってあったことを思い出し、与太郎に持ってこさせたが、この与太郎はまたとんでもない間抜けな男で、せっかくの豆腐は与太郎が夏場にもかかわらず、通気性の悪い食器棚の中に入れておいたせいで黄色いカビが生え、おまけに独特の腐敗臭が漂っていてとてもじゃないが食えた代物ではなかった。
そこに伊勢屋の若旦那が通りかかる。知ったかぶりの通人気取りで、気障で嫌らしくて江戸っ子達からは鼻つまみ者の若旦那を見た兄貴分は、日頃のうっぷん晴らしにこの若旦那を困らせてやろうと思いついて彼を呼び入れた。
「実は舶来物の珍味があるのだが、何だかわからねえんです。若旦那ならご存知でしょう」と腐った豆腐を出す。
若旦那は腐った豆腐を見て思わず顔をしかめるものの、日頃通人を気取っていることもあって、まさか知らないとも言えず、「これは酢豆腐でしょうな」と知ったかぶる。さすがは通人の若旦那だと持ち上げられた上にどうやって食べるのか見せてくれと頼まれてもはや引っ込みがつかなくなり、仕方なく腐った豆腐を一口食べて苦悶する。兄貴分が「若旦那、もう一口如何ですか」と声をかけると若旦那が「いや、酢豆腐は一口に限ります」。
あらすじ(ちりとてちん)
ある料理屋の旦那の誕生日に、近所に住む男が訪ねて来る。
飾られた白菊、鯛の刺身、茶碗蒸し、はては白飯に至るまで出された食事に嬉しがり、「初めて食べる」、「初物を食べると寿命が75日延びる」とお世辞を言いながら美味しそうに食事をする男であったが、旦那もこの男が店に来るのを常日頃楽しみにしていた。
そのうち、裏に住む竹という男の話になる。この竹という男は、出された料理をうまいともまずいとも評価せず、その上料理人でもないのに本職の旦那の前で何でも知ったかぶりをして作法やら料理の盛り付けの講釈をしだすので煙たがられていた。
2人は誕生日の趣向として、竹に一泡吹かせる相談を始めるが、そこへ女中が水屋を片付けていると腐って黄色いカビが生え、異臭を放つ豆腐がを見つけたので、旦那は女中にその腐った豆腐とそれを入れるための空き瓶を持ってこさせ、それに七味を混ぜて「元祖 長崎名産 ちりとてちん」(または「長崎名物 ちりとてちん」「台湾名物 ちりとてちん」)として竹に食わせるという相談がまとまる。
そうとは知らずに訪れた竹が、案の定「ちりとてちん」を知っていると言うので早速食膳に出す。
竹はその「ちりとてちん」の悪臭に顔をしかめつつも、ごまかしごまかしどうにか一口食べ、額は冷や汗でびっしょりであった。
旦那が「どんな味や?」と聞くと、竹いわく「豆腐の腐ったような味やぁ・・・」。
解説
言ってしまえば「何も知らない奴をシャレにならないやり方でだましてせせら笑う」「バカが見栄を張るのを嘲り笑う」というえげつない筋書きの笑い話であり、現代人の感覚とはちょっとずれている。あんまり食事中に聞きたい筋の噺ではないし、サゲ(オチ)も弱い。
ゆえに、いかにこの若旦那や竹を「こんなことをされても仕方ない人物として演じるか」、そしてこのリアクション(知らないのにさも知っているかのように言うシーンや、吐き気や涙をいかに知ったかぶりでごまかすかなど)をいかに笑えるものにするかという研究が必須。
この匙加減を間違えると単なるいじめなので笑えなくなってしまうが、かといって不快な人物の描写がえげつなさすぎても笑えなくなるし、このバランスがよくても噺家のキャラに合っていないとやっぱり笑えないため、噺家の腕が問われる部分。
関西の「ちりとてちん」は本来は三味線の音の表現。ピアノの「ポロンポロン」とか、銅鑼の「ゴーン」、笛の「ピーヒャララ」と同じ感じで、現在も三味線教室の名前などに用いられる(噺家によっては名前をつけるくだりで三味線の音が聞こえてきて連想するという演出を取る)。
そこから転じて、三味線のフレーズのようにも使った。「ちりとてちんくらいなら弾けます」「ちりとてちんちりとてちんしゃんしゃん…」のように使う。これは現代人にも分かりやすいイメージだと「デッデッデデデデッ」とか「デデンデンデデンデン」とか「デデンデンデデン」みたいな感じ。
つまり『こんな名前のもん明らかに嘘だと分かるだろ』というものに見栄を張る半可通というのも笑いどころのひとつだったが、三味線に縁がなくなってしまった現代ではこれが通じにくくなっている。あらすじを「下北名物のデデ丼です」「新潟名物のちゃら餡です」みたいに読み替えてみると面白さが見えて来るかもしれない。
なお同名のテレビドラマのタイトルは、落語と三味線双方からとったもの。今では三味線の擬音どころか落語の演目の方よりも有名になってしまった。
Wikipediaの当該項目では単なる腐った豆腐という部分にさえ「要出典」がついており、さながらアンサイクロペディアの記事のようになってしまっている。
上述の通り、そんなに情熱注ぎ込むような噺ではないはずだが……。
この噺から、物事の真髄を理解していないくせにさも自分が物事に通暁しているかのように振る舞う人のことを「酢豆腐」と言うようになった。1890年代の辞書に載っている表現なので、少なくとも当時使われてはいたようである。
しかし現在では酢で味付けした豆腐の調理法が簡単に調べられる他、そもそもポン酢で豆腐を食べることも増えてきているため誤解を招きやすい。そのためほぼ死語と化している。
その一方、wiki形式のサイトの趨勢が強まった現在では「虚構記事」「循環報告」というものが社会問題になってきているが、酢豆腐はその例として好まれる。
1900年代の辞書にはこの酢豆腐を料理のひとつのように記した項目があり、50年以上もの間この未検証記事が残り続けてしまったどころか、その1900年ごろの辞書を参照して別の辞書にも載ってしまい、それが繰り返されて様々な辞書に載るという事態を引き起こしたため。広辞苑の登場でようやくこの誤用掲載が収まった。
現代のwikiの先駆となる問題をあろうことか落語由来の言葉が起こしていたため、今では学術的な例でつかわれることの方が増えている。「酢豆腐の意味に酢豆腐だった」とか「酢豆腐が酢豆腐の意味を変えた」という、何とも言えないオチがついたといえば落語っぽい。
夏場に買ってきた豆腐を棚の中に保管していること、保管したのが与太郎(落語における間抜けキャラ)であること、それを兄貴分が叱りつけることからも分かる通り、大半の噺家が演じる「酢豆腐(ちりとてちん)」は「豆腐よう」のような発酵食品ではなく単なる腐った豆腐である。
豆腐は足が早いことからスーパーの生鮮関係者や総菜担当などからは「白い悪魔(短い時間でも常温で置いてしまうと売り物にならなくなるということを従業員に戒めるための言葉)」と呼ばれることもあるほど気を使われる。
瀧川鯉昇は実際に食べてしまい、3日間40度の熱に浮かされ、タオルのような軽いものも持ち上げられないほどに衰弱したという。そうでなくとも食べてみると単なる酸っぱいではなく、たった一口で舌が一瞬でビリビリして「これ絶対に食べちゃダメだ!」とわかる。
この噺の真似は絶対にしないこと。食べるにしても一口に限ります……。