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概要

クライヴ・ウィリアム・ニコル(Clive William Nicol, MBE、1940年7月17日 - 2020年4月3日 )。

妻は、作曲家で日本画家のニコル麻莉子(1980年に結婚)。1995年に日本国籍を取得し、本人の言によれば「ウェールズ系日本人」。日本における戸籍名はニコル シーダブリュー。

ウェールズの首都カーディフの西方にある町ニースに生まれる。

高校を卒業後、反対する両親に無断でカナダに渡り、17歳でピーターとともに極地探検を行い、数次にわたる極地探検で、カナダのイヌイットと一緒に暮らすなど交流の経験を繰り返した。

その後、再びカナダで水産調査局や環境保護局での技官などを歴任した。1962年に空手道を学ぶために来日した。

空手初段を習得後カナダに戻り、モントリオールの漁業調査局の北極圏生物ステーションで水産哺乳類技師となり、バンクーバー島やノバスコシア州で調査捕鯨の仕事に従事。

2年ほどで辞め、イヌイットと暮らしたり北極圏であざらし観察に出かけたりしたのち、エチオピアのシミエン国立公園の猟区管理人となり、野生動物保護省の狩猟区管理官を務め、密猟者との戦いも過酷を極めた。

再来日から2年後、ウィニペグの淡水協会に雇われ、西方北極圏調査の仕事を得たのち、バンクーバーの環境保護局の緊急対応事務官に昇進する。カナダ国籍を取得した後、1975年、35歳で沖縄国際海洋博覧会のカナダ館副館長として再来日する。

その後、妻となるニコル麻莉子に出会い(後に末娘をもうける)、親友の谷川雁の紹介で1980年に、谷川が創設したラボ教育センターの拠点であるラボランドのある長野県黒姫山の麓に居所を定める。

1981年、第6回創作テレビドラマ大賞に「日時計」で佳作受賞した。以降、亡くなるまで作家活動を続けた。また、自然環境の保護活動でも知られた。

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