Panic! at the Disco
ぱにっくあっとざでぃすこ
アメリカ、ラスベガスで結成されたポップ・パンクバンド。
結成当時メンバーが全員高校生だったために金銭的にライブをやることが難しく、また当時のラスベガスの音楽シーンではバンドがデビューすることは難しいと考えたメンバーは、彼らが影響を受けていたFall Out Boyのピート・ウェンツにインターネット上でデモテープを送り、それをきっかけにウェンツ自身のレーベルであるディケイダンス・レコードとの契約が決まった。
2005年にファーストアルバム「A Fever You Can't Sweat Out(邦題:フィーバーは止まらない)」を発売する。その中でも「I Write Sins Not Tragedies(邦題:いつわりのウェディング)」はPVの人気が爆発し、「MTV Video Music Award」をマドンナやレッド・ホット・チリ・ペッパーズがノミネートされていた中で受賞するという快挙を成し遂げた。2006年にはベースのブレントが脱退。
初期はあまり歌詞と関係のない長い曲名、皮肉のきいた歌詞、シアトリカルなパフォーマンスが特徴。ライブでは本物のサーカス団を呼んだり、映画(『タイタニック』や『ムーラン・ルージュ』など)の影響を受けた1920年代風のステージといった劇場のようなパフォーマンスをしていた。
2008年にはセカンドアルバム「Pretty. Odd.(邦題:プリティ。オッド。)」を発売。前作とはがらりと雰囲気が変わり、ビートルズの影響を色濃く受けたアルバムでファンからの賛否両論を呼んだ。このアルバムを発売した翌年に、1作目で全曲の歌詞を担当したライアン・ロスと、ブレントの後に加入したジョン・ウォーカーが脱退を表明。
残されたブレンドンとスペンサーは2011年に「Vices & Virtues(邦題:悪徳と美徳)」を発売し、初期のエモ色が戻ったアルバムとなった。発売後のツアーでは、ライアンとジョンの代わりにイアン・クロフォードとダロン・ウィークスが加入した。
2012年にツアーメンバーだったダロンが正式メンバーとなり、2013年には「Too Weird to Live, Too Rare to Die!(邦題:生かしておくには型破り過ぎるが、殺すにはレアすぎる!)」を発売した。このアルバムの制作中に、イアンが脱退しケネス・ハリスがツアーメンバーとして加入する。
アルバムの発売後、ツアーが始まってすぐにスペンサーがアルコールと処方薬への依存症の治療のために活動休止を発表し、ドラムはダン・パウロビッチが務めることとなった。しかし2015年にスペンサーの脱退が正式に発表され、またダロンが正式メンバーからツアーメンバーに戻ることをTwitterで発表したため、正式メンバーはブレンドン一人となった。
2015年、「Death of a Bachelor(邦題:ある独身男の死)」を発売。アデルやジャスティン・ビーバーを抑え、バンド史上初めて全米アルバムチャートで1位を獲得した。
解散時のメンバー
ツアーメンバー
- ダロン・ウィークス (Dallon Weekes) - ベース、ボーカル、キーボード、ギター。193㎝の長身とそのイケメンさからファンも多い。二児の父。
- ケネス・ハリス (Kenneth Harris) - ギター、バックボーカル。元々ソロで活動していた。
- ダン・パウロビッチ (Dan Pawlovich) - ドラム、パーカッション。P!ATDのドラムテクをしていた。