概要
1921年から中央航空流体力学研究所(TsAGI)に所属していたヴラジーミル・ミハーイロヴィチ・ペトリャコーフは、金属製主翼の設計を担当した後、1936年からは大型爆撃機の開発を中心とするZOK実験組織の所長に就任した。
そこで新コンセプトの爆撃機の開発を進めていたが、1937年にスターリンの大粛清で逮捕され、第156航空機工場(後のGAZ-156)のCCB-29特別刑務所に投獄された。
獄中で『KB-100』と呼称される航空設計局を組織し、試作番号VI-100高々度戦闘機の開発を命じられる。1939年、試作機が初飛行。高度10,000mで時速630kmを記録。
しかし、ドイツ、日本などの仮想敵国が高高度から侵入する戦略爆撃機を持たないため、高々度戦闘機の開発は中止。急降下爆撃機とするよう命令が下った。
1940年、急降下爆撃機型のPB-100が試作され、採用された。1941年にPe-2として量産が始まった。
実戦での運用
Pe-2は「ロシアのモスキート」と揶揄された。
爆撃機型の他、高々度戦闘機型、夜間戦闘機型、偵察機型、地上襲撃機型などの派生機が製造され、終戦までに合計11,427機が製造された。
良好な性能と爆弾搭載能力からパイロット達に「ペシュカ」と呼ばれて親しまれた。操縦席周りや施燃料タンクの防備も堅牢で、他のソ連軍機と同様に不整地での離着陸を可能とする頑丈な機体と主脚を持っているのが特徴でもある。
独ソ戦においてソ連軍の主力爆撃機としてイリュ―シンIl-2と共に活躍し、多くの戦果を挙げた。戦後はチェコスロバキアなどの東側陣営に配備され、1954年に退役した。
Pe-2には着陸速度が速い、操縦性が悪い、応力外皮構造のため整備性が悪い、などの欠点があった。設計者のペトリャコーフも試作機の事故により、1942年1月12日に死亡している。
VI-100
原型となった試作高高度戦闘機。
PB-100
VI-100からの試作爆撃機型。
Pe-2
最初の生産爆撃機型。クリモフVK-105RAエンジン(液冷V型12気筒 1,100馬力)を搭載。
Pe-2B
1944年から生産された爆撃機型。
Pe-2D
エンジンをクリモフVK-107Aに変更した爆撃機型。
Pe-2FT
中期生産爆撃機型。7.62mm後部旋回機銃を追加。クリモフVK-105PFエンジン(1,260馬力)を搭載。
Pe-2FZ
前線任務航空機と呼ばれた型。機首のガラス張りが廃止された。
Pe-2I
ヴラジーミル・ミハーイロヴィチ・ミャスィーシチェフによって改設計された爆撃機型。後部旋回機銃をリモート式とし、クリモフVK-107エンジン(1,650馬力)を搭載。最高速度656km/h、爆弾搭載量1,000kg。
Pe-2K
Pe-2IのエンジンをクリモフVK-107PFに変更した型。少数生産。
Pe-2K
尾部にグルシュコRD-1ロケットエンジンを搭載した試験機。最高速度785km/h。
Pe-2M
爆弾倉を拡大して500kg爆弾4発を搭載可能にした型。
Pe-2MV
ShVAK20mm機関砲1門とUB12.7mm機銃2挺を胴体下部ゴンドラに追加装備した試作機。
Pe-2/M-82
シュベツォフASh-82エンジン(空冷星型14気筒 1,700馬力)搭載の試作機。
Pe-2R
燃料搭載量を増やした3座の偵察機型。少数生産。
Pe-2Sh
地上攻撃機型。20mm機関砲2門、12.7mm機銃2挺または、各1ずつ混載した連装機銃座2基を胴体下部に装備。
Pe-2VI
高高度戦闘機型。単座で操縦席は与圧され、クリモフVK-107エンジン搭載。
Pe-2UT
練習機型。Pe-2S、UPe-2とも呼ばれる。
Pe-3
Pe-2の長距離夜間戦闘機型、20mm機関砲2門、12.7mm機銃2挺を装備
Pe-3bis
Pe-3の改良型。ShVAK20mm機関砲2門(機首)、UBK12.7mm機銃2挺(翼内)、UBT12.7mm機銃1挺(後席)、ShKAS7.62mm機銃1挺(尾部)装備。152機生産。
性能諸元【Pe-2FT】
全長 | 12.78m |
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全幅 | 17.11m |
重量 | 8,500kg |
発動機 | クリモフVK-105PF液冷V型12気筒/1,260馬力×2 |
最高速度 | 580km/h |
巡航速度 | 400km/h |
航続距離 | 1,800km |
上昇限度 | 8,800m |
乗員 | 3名 |
武装 | 12.7mm機銃×1 7.62mm機銃×4 爆弾:1,600kg |