概要
フォード・モデルTの日本での呼称。1908年から1927年まで製造された大衆車で、車社会化の立役者として世界、特に北米の文化や社会、経済に計り知れない影響をもたらした。
1500万台以上が同一モデルで製造され、この記録を抜いたモデルは2019年現在フォルクスワーゲン・ビートルだけである。
世界初の国民車
1908年3月に発表、同年10月に発売された。車体構造はシンプルでありながら高品質、運転もメンテも簡単であり、またたく間にベストセラーとなり、全米に普及した。フォード・モーターは並行生産していた小型車モデルN、R、Sや高級車モデルKの生産を止めて当車種1つにし、さらに車体カラーも黒1色にするほどであった。(この事から黒であればどの色でも注文できますというジョークがあった)
1910年、モデルTのために新設されたハイランドパーク工場が完成した。同工場では流れ作業により生産性が圧倒的に向上、モデルTは増産と値下げを繰り返し、それでいて賃金は他の工場より倍近く高かったため、工員はモデルTの生産で得た報酬でモデルTを買うことができた。それは労働者階級を含む巨大な大衆層を担い手とした大量生産・大量消費時代の本格化であった。
モデルTの成功の要因として、全米にサービス網を整備したこと、完全な部品互換を達成したことがあげられる。1900年代の多くの機械製品は加工精度に難があり、組み付け段階で現物合わせでの調整を強いられていたが、フォード車は高精度な加工技術により部品互換性を確保していた。シンプルな構造と高精度な交換部品により、基本的な工具とマニュアルだけを頼りに誰にでも修理可能であり、ユーザーからの信頼を高めた。
当初のオープンカーモデルの他、後期にはドアや屋根を備えたクローズドボディモデル、トラックやバスボディを架装したモデルも存在し、外観の多様性は著しい。初期型と最終型では同一車種には到底見えないほどである。トラックやバスなどの商用車に使われたのは主にシャーシやスプリングを強化した派生型「モデルTT」であるが、これもモデルTの生産台数に含めることが一般的である。
エンジンは排気量2896ccのサイドバルブのガソリンエンジン。公称出力20-24HP/1,400-1800rpmという(現在から見ると)著しく低回転・低出力の代物であるが、1908年時点では世界最先端の設計であり、モデルTの生産終了後も、実に1941年8月まで産業用エンジンとして生産が続いた。が、1920年代以降時速60マイル(時速96km)で走れる高性能車が増えてくると、この低回転エンジンに2速変速機の「ティン・リジー」(モデルTの愛称)は元々45マイル(時速72km)が限度なうえに、クローズドボディによる車重の増加もあって交通の流れについていけなくなり、数の多さと鈍足さから、ティン・リジーはいくら追い抜いても追い越せないというジョークが産まれるほどだった。
当時のT型フォードがどのように使われたわかる映像。 この走破性の高さや頑丈さも人気の秘訣だった。
日本におけるT型フォード
「T型フォード」の名が今まで伝わっているように、戦前の日本においてもなじみ深い自動車であったが、それは自家用車としてではなく、主にタクシーとバスとしてであった。日本初のタクシーは1912年に東京で運行されたモデルTであり、1925年には、関東大震災によって大量に市電を失った東京市によるバス大量発注に商機をみたフォードが横浜に組立工場を設置し、ノックダウン生産を開始、日本の自動車(主にバス・トラック・タクシー)市場をたちまちのうちに席巻した。
当時の日本では「乙種免許」として事実上の「T型フォード専用免許」が設定されていたほどで、その普及ぶりがうかがえる。
関連項目
ビートル-世界で最も多く量産された自動車