はじめに
フォードGTは長い歴史を持ち、その歴史の中で様々な記録を残しています。そんな中その全てを紹介すると記事が肥大化してしまう為、本記事は要所要所で省略等を行っています。その中でも「これは書いておきべき情報だ!」という様なものがありましたら適宜追記をお願いします。
モデル
一口に「フォードGT」と言うと以下の3つのモデルをまとめて表すことになる為、それぞれのモデルの特徴をザックリと説明する。
- GT40 → 1960年代、企業のイメージ向上にはモータースポーツへの参戦及びそこで好戦績を出す事が有効であるとし、その過程で生産されたモデル。
- 初代 → GT40のリメイク。基本的なビジュアルはGT40を踏襲し、特にフロントにはその面影が強く残る。
- 2代目 → 外も中も、あらゆるものが一新されたモデル。初見では誰もが二度見するビジュアルを呈する。
GT40 (1964~1969)
(冒頭でも説明した通り、全部解説するとかなり長くなるので要所要所で省略等を行っています。詳しく知りたい方は本記事末尾の「外部リンク」からWikipediaをご参照下さいませ。)
大衆車メーカーとしてその地位を確立していたフォード・モーターだが、当時の社長が自社が更に成長する為の方法を模索していた。そこで参考になったのがフェラーリである。その時のやりとりをコメディ風に表すとこんな感じ(下記)。
─1963年、フォード本社─
社長「生産台数はウチ(フォード・モーター)より少ないのになんで儲かってるねん!」
社員「レースで良い戦績を出しているから売れるんですよ!」
社長「でも経営危機に陥ってるんやろ? じゃあフェラーリ買収すればええやん!」
社員「やってみましょうか!」
─同年5月、イタリア マラネッロ(フェラーリ本社の拠点)─
フェラーリ「誰がテメェみてぇなところに買収されるか! 醜い車を量産してろ! 重役達はマヌケだ! ヘンリー二世は所詮二世。偉大な祖父(ヘンリー・フォード、フォードの創設者)には遠く及ばん。さっさと醜い巨大工場へ帰れ!」
フォード「...」
─フォード本社─
社員「ごめんなさい、買収は失敗しました。」
社長「...向こうは何と言ってた?」
社員「...重役達はマヌケ、二世は所詮二世...と。」
社長「頭に来たわこの野郎ブチのめしてくれらァ! モータースポーツに参戦する! そこで一泡吹かせてやらァ!」
社員「やってやりましょう!」
(以上色々端折りまくった意訳)
フェラーリは自身を買収してモータースポーツで活躍してやろうというフォードの魂胆を良く思っていなかった上、後にフェラーリは別の会社に買収される事となる。これを受けてフォードは自社でレースカーを生産するしか道がなくなってしまった。その結果生産されたレースカーというのが「GT40」である。
GT40には複数のバリエーションがあるが、GT40開発の歴史においてはじめの頃はマシンの信頼性は高いとは言い切れず、レースではトラブルやそれに起因するリタイアが多かった。
なおGT40は右ハンドルの車だが、不思議な事にシフトレバーは運転席の右側にある。
(普通、シフトレバーはマシンの中央辺りに配置される。右ハンドルの場合シフトレバーは左手で操作する様な配置になる。)
エンジン形式はV8。排気量は初期のモデルで4.1L。最終的には4.9Lまで増加。排気量にモノを言わせるアメリカならではなマッスル思考を体現したマシンである。
(大体マッスルカーなんて言うし。)
戦績
GT40が最初にル・マンの地を走ったのは1964年。ラップレコードの更新及び当時のル・マン24時間耐久レースにおける初の300km/hオーバーという速度を叩き出すが、参戦した3台は全てリタイアという結果に終わってしまう。
翌1965年も4台が参戦。再びラップレコードと最高速度記録を更新するが全車両リタイアに終わってしまう。
1966年はGT40の改良型である「GT40 マークII」が用意され、そのデビュー戦となったデイトナ24時間耐久レース(アメリカにあるコースで行われているレース)ではケン・マイルズ/ロイド・ラビー組が優勝。ル・マンでは8台のマークIIがワークスマシンとして、5台のマークIがプライベーターとして参戦。結果はマークIIがトップ3を独占するという快挙を成し遂げた。翌1967年はマークIIの強化版である「マークIV」(マークIVはGT40 マークIVと呼ばれず、単にマークIVと呼ばれる事が多い)が2連覇を成し遂げた。なお、1967年のル・マン終了後レギュレーションが大きく変更された為フォードはワークス活動から撤退しプライベーターに託される事に。
1968年、1969年は、現在では「Gulf」塗装で有名な個体が優勝を果たし4連覇を達成。
なお、1969年のル・マン終了後再びレギュレーションが変更され、これにより排気量制限に引っかかる様になってしまった為、GT40の活躍はここまでとなった。
ちなみに、途中ナンバリングがすっ飛ばされた「マークIII」は完全なる公道走行専用のモデルでレース用ではない。
映画での活躍
上記の内容の一部は映画「フォードVSフェラーリ」(原題:Ford v Ferrari、イギリスやイタリア等の多くの国では「Le Mans 66」)にて映像として見る事が出来る。
なお、この撮影で使用されたGT40のレプリカが日本にあるとか。
「フォードVSフェラーリ」に関しては本記事末尾、外部リンクにあるWikipediaへのリンクを踏んで確認してもらいたい。
初代(2005~2006)
上記の一連の歴史を持つGT40をリメイクしたのがこの初代である。車名はGT40で売り出す予定だったものの商標登録の問題により仕方なく「GT」になった。
フロントのデザインはGT40とほぼ変わらないが、リアは大きく変更されており、大きなテールランプを2つ備えている。
エンジンの形式やその配置、駆動方式はGT40と変わらずMR駆動。排気量はGT40から増えて5.4L V8 DOHC スーチャー搭載となっている。トランスミッションは6速MT。
日本には正規輸入されなかったが個別に数台が輸入されており、レースゲーム「グランツーリスモ」のプロデューサーとして知られる山内一典(やまうち かずのり)氏が2台を所有している。
また、「グランツーリスモ4」のOP等で、2005年モデルのフォードGT ル・マン仕様を拝む事が出来る。
バリエーションモデルやレーシングモデルについては、ここでは割愛する。詳しく知りたい人は本記事末尾、外部リンクにあるWikipediaへのリンクを踏んで確認してもらいたい。
2代目 (2017~ - )
2015年、北米国際オートショーにて発表。設計はフォードの高性能車開発部門「フォード・パフォーマンス・ビークルズ」とマルチマティック社が行った。生産もマルチマティックに委託される。デザインは初代のそれこそ残っているがGT40のそれはほとんど残っていないと言っても過言ではない。これは、LM-GTE規定(ザックリ説明すると、ル・マンでの耐久レースに関する規定)の範囲内で改造する事を前提にしていた為である。
新開発の3.5L V6 ツインターボエンジン(愛称「エコブースト」)は最高出力656ps/6500rpm、最大トルク76.0kgf・m/6000rpm(Nm換算にしておよそ745Nm)を発揮する。トランスミッションは、昨今のスーパーカー・ハイパーカーにはおなじみのDCT型の7速。
モータースポーツへの参戦自体は2016年から行っており、市販モデルの販売は翌2017年から開始。当初は1000台の限定販売としていたが、2019年に1350台への増産が発表された。
2016年12月にフォードが日本市場から撤退している関係で正規輸入こそないが、特別に "日本向け" としてデリバリーされた個体が存在する。
なお、2019年末をもってフォードは耐久プログラムを終了。プライベーターへの供給の噂もあったが実現せず、本モデルは再びサーキットから姿を消した。
バリエーションモデルやレーシングモデルについては、ここでは割愛する。詳しく知りたい人は本記事末尾、外部リンクにあるWikipediaへのリンクを踏んで確認してもらいたい。
関連記事
- フォード・マスタング → GT40のデビューと同じ頃に初代マスタングがデビュー。
- 330 P3 → 1966年のル・マンにてフェラーリが3台用意したマシン。映画「フォードVSフェラーリ」でもこのマシンを拝む事が出来る。