エドセル(Edsel)は、アメリカのフォード・モーター・カンパニーが1957~59年の間に使用していた乗用車のブランド。
「エドセル(エゼル)」という単語そのものがモデル名というわけではないが、「キャデラック」などと同様そのように解釈されることもある。
概要
フォードは自社とともにビッグ3と呼ばれた「クライスラー」「GM」と同じく最高級車から商用車、大衆車に至るまでを手掛けており、これらと同様に単に「フォード」ブランドのものもあれば、最高級車ブランド「リンカーン」や中~上級車ブランド「マーキュリー」といった具合に階層や車の用途ごとに複数のブランドを保有しこれを使い分けていた。
「エドセル」のブランドは、1950年代に「マーキュリー」ブランドの高級化が進み、新たな中級車ブランドの創設が必要になった為だとされている。
ブランド名のエドセルは、フォードの創業者ヘンリー・フォードの息子でフォード・モーターの2代目社長であったエドセル・フォードのファーストネームに由来する。エドセル・フォードは保守的だった父ヘンリーと時に衝突しながらも新機構を積極的に取り入れたほか高級モデルの充実に力を注いだものの、身体が丈夫ではなく第二次世界大戦による戦時体制での激務が重なり1943年に49歳の若さで病没している。
幻のブランド
ブランド名の由来からも窺えるが、1957年に発表されたこのブランドにはかなりの期待が掛けられていたものの、1959年にはブランドが消滅した。
ブランドの新設に際して入念な宣伝が行われたにもかかわらずである。
エドセルブランドには様々な問題が存在したが、現在では「メーカー側が消費者のニーズを把握せず、自社製品を高品質だと盲目的に信じ込んで売り込みをかけて失敗した事例」の代名詞となっている。
多数の専門家が様々な分析をしているが、複数の原因が重なったためであることは間違いない。
具体的には
- ブランド登場前に大々的に宣伝を行い、注意を向けることには成功した…ように見えたが、宣伝そのものが抽象的すぎて消費者には何の事か分からなかった
- 価格設定に問題があり懐に余裕あれば上位車種のマーキュリーを購入するか、それが無理ならフル装備のフォードを買うという心理が働いた
- 他社の競合ブランドであるポンティアック、ビュイック、ダッジがすでに成熟したブランドだった
- 1950年代末のアイゼンハワー不景気と重なって大型車の人気が落ちた
- 気合を入れてデザインされたスタイル、特にグリルが酷評された
- (ライバルブランドの)オールズモビルがレモンを齧った顔。というのはまだいい方で、口さがない人々は局部に擬えている
などなど。
1959年のブランド終了で、翌60年に登場る予定だった『コメット』は行き場を失ったもののリンカーン、マーキュリーのディーラーで販売されて好評を得ている。