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シェルビー

しぇるびー

シェルビーは人名。この項目ではpixivでよく用いられている「自動車メーカーおよびブランド」に関して解説する。
目次 [非表示]

本来は人名であり、オリキャラの名前として使用されている事例も存在する。


キャロル・シェルビー編集

 キャロル・ホール・シェルビーは1923年に生まれ、高校卒業後、アメリカ空軍にてパイロットなどで勤務したのち、紆余曲折を経てレーサーとなる。2年間の活動ののち心臓病が原因で引退後、リバーサイド・レースウェイに「シェルビー・スクール・オブ・ハイパフォーマンス・ドライビング」を設立し、次世代のレーシングドライバーの養成に力を注いだ。

同時に「アメリカにスポーツカーを」との思いからイギリス(ACモーターズ)製のボディにフォード・モーター製の新作V型8気筒エンジンを搭載した車を設計、これをACコブラと名付けシエルビー・アメリカンという会社を立ち上げ販売。

 この会社からはシェルビー・コブラ、アメリカのレースに合わせたコブラ・ロードスター、純粋なレーシングカーキング・コブラ、ヨーロッパのレースに合わせたシェルビー・デイトナマスタングをモデルとしたシェルビー・マスタングなどである。また、緊密な関係にあったフォードの依頼を受けてフォードGTの改良を行った。

 しかし、忙しすぎて嫌気がさした為シェルビー・アメリカンは1969年に活動停止、権利等はフォードに貸与した(なお、ACカーズが)。その後もフォードとの関係が続いていたがリー・アイアコッカがフォードの社長から退き、クライスラーに行くとそれについていく形でクライスラーの特にダッジの改造(ダッジ・バイパーなど)に取り組むことになった。

 また、シェルビー自動車という会社を立ち上げて車を製造しているという情報も存在する。

 1991年にはレーシングカーのデザイナーとして国際モータースポーツ殿堂に入る。

 2012年に89歳で死去。

参照編集

wikipediaキャロル・シェルビー

シェルビー・アメリカン編集

 この会社はアメリカに存在した自動車メーカーおよびレースコンストラクターであり、1960年代に活動した。もともとはこの会社の設立者キャロル・シェルビーが、自分のためのレーシングカーを作るための組織であったが、フォード・モーターと緊密な関係を受け、同社の自動車の改良なども行っていた。

車たち編集

 この会社が最初設計製造した車としてはオープンカーACコブラ(ACモーターズがブリストル飛行機からエンジンを仕入れられなくなっていたところをフォードからエンジンを調達して製造したマシン)である。この車両を作るに当たりフォードに多大な借りを作った(エンジンの代金を貸しにしてもらったり、工場のスペースに関し便宜を受けたり)ことが後のこの会社の運命を決めることになる。

 この車はアメリカ国内のレースに参戦し、良い結果を収めた。

 また1963年には純粋なレーシング・プロトタイプであるキング・コブラを製造した。この車種は8台が製造されたが、シャーシの陳腐化により思ったような結果が出ず、さらにフォードの所領の改良が多忙になったためこの計画は打ち切りとなった。

 1963年にコブラ・ロードスターがアメリカ国内のレースで大活躍するとフェラーリの買収に失敗したフォードはこの会社に頼りワールド・チャンピオン・タイトルの制覇を考えるようになった。そこでアメリカのレースで活躍していた車にクーペのボディを載せるという荒業を行い、レースに出場することになった。そしてこの車はシェルビー・デイトナと名付けられ、世界で最も高値がつく車と呼ばれるようになることになる。

 コブラ・ロードスターMk3という車(さらに強力なエンジンを積み、足回りのスプリングを変更)を設計、製造したもののこれは改造の範囲を超えるということでレースに出せないため、失敗に終わった(これはフォードGTの改良などに時間をとられたためという可能性もある)。

 また、フォードはフォードGTという車種でレースに出場していたが、この車スピードはあっても信頼性がなく、結果が芳しくないためにこの車の改良をこの会社に任せた。その結果は明らかに出た。優勝と3位だった(なお同じレースでデイトナは2位と4位)。

 また、ル・マン24時間レース(1923年から行われるフランスのル・マン近郊で行われる耐久レースで、格の高いレース)に1966年参戦した際に同一の車13台を出場させるという物量線を行い、表彰台独占を成し遂げた。

 また、1965年にはマスタングをベースとしたシェルビー・マスタングGT350を生産した。

終焉編集

 この会社の終焉はすぐそこまで来ていた。これまで会社を支えてきたケン・マイルズが事故で1966年に死亡、さらにコストの高いロードスターMk3の製造中止、シェルビー・マスタングに対するフォードの圧力、さらにはフォードの1968年の海外レースへの撤退などである。

 その頃自分の思うようなレーシングカーが作れなくなっていたキャロル・ホール・シェルビーは嫌気がさして1969年に会社を終了させることを決意し、製造を停止することを当時フォードの社長であったリー・アイアコッカに告げ、工場を閉鎖、商標などはフォードが利用できるようにした。

参照編集

wikipediaシェルビー・アメリカン

pixivのタグとして編集

このタグはこの会社が製造した車、コブラやデイトナ、さらにはマスタングGTなどにつけられる。

関連項目編集

アメリカ合衆国 自動車 フォード・モーター フォード・マスタング コブラ

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