曖昧さ回避
インディアン
実際の名前をオブワンディヤグといい、ポンティアックという名前はイギリス人が呼称ししていたボンディアックがなまったものであるといわれる。
この人物は1720年に生まれ、オタワ族に属しており、若いうちから酋長(イメージとは異なり、インディアンの社会は合議制であるため、調停を行う人物であり、指導者ではない)。このオタワ族は未開というわけではなく、フランス人と交易を行っていたが、フレンチ・インディアン戦争(カナダで行われた七年戦争のうち、北アメリカを舞台に繰り広げられた一連の戦闘)の結果、居住地域であるニュー・フランスがイギリス人の支配下に置かれたが、彼らはインディアンに対して無理解、かつ軽蔑的であったため締め上げる政策をとり、インディアンの反乱の原因となった。
そして1761年より戦争の兆しが見え始める。そして1763年にデトロイトなどの砦に攻撃を仕掛け、イギリスはデトロイト砦やピット砦の重要拠点は死守したものの、ほかの8つの砦は占領された。またイギリス人入植者を襲った。イギリス軍はこれに対抗し、戦争は1766年に和平条約が結ばれるまで継続した。
ポンティアック戦争と呼ばれることとなるこの戦争により痛み分けの形となった。
しかし、1769年にピオリア族(当時はこの辺りにも存在した、現在ではオクラホマに存在する)に殺害され、彼の一生は終わる。
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都市
ミシガン州オークランド郡に存在する都市で、デトロイト大都市圏に所属する。
この土地に入植者が侵入したのは1818年であるが、それまでは不毛な土地と信じられていた。1820年にはオークランド郡の郡庁所在地に指定された。入植者はインディアンの酋長にちなんだポンティアック社という会社を設立し、周辺の開拓に力を入れた。
1837年に準州であったミシガンが州に昇格するとともにこの地も村となった。1961年に市として法人化した。
産業としては当初河川(クリントン川)にて動力を利用した毛織物および製粉産業、のちには馬車が作られるようになった。しかし、最も大きいのは自動車産業であり、これはこの地に存在したオークランド・モーターカー社がゼネラルモーターズに買収、また馬車製造会社なども買収されたことによりさかんとなった。
この地では特にポンティアックブランドの自動車が製造された。近年においては自動車産業の競争力低下により人口も減少が続いている。
この都市には鉄道(アムトラックによるポンティアック-デトロイト-バトルクリーク-シカゴ路線)が存在する。また空港はオークランド郡国際空港が存在している。
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自動車のブランド
ゼネラルモーターズ(GM)が1926年から2010年まで所有した自動車のブランドの一つであり、主として傘下であったオークランド・モーター・カンパニーの製造するサブブランド(オークランドブランドも(1909年から1931まで製造されていたが、おそらく中の上程度のブランドではなかろうかと推測)であり、中価格帯で若者向けの車両であった。
ブランドの立ち上げから1950年代中盤までは同じGMのシボレーよりも優美なデザインとチーフと呼ばれる首の長いデザインが特徴的とされ、ターゲットとしてはある程度のお金持ちのご婦人方であったといわれている。
1950年代から高性能エンジンと先進的なデザインでスポーティーな自動車を製造、今までのブランドイメージを一変させた。さらに1960年代以降になるとその傾向はさらに強まり、複数車種に高性能オプションGran Turismo Omologatoを設定する。
ファイヤーバード・トランザムなどを発表していたころがこのブランドの最高の時期だったと思われる。
1970年代より石油価格の高騰や輸入された日本車の影響によりこれまでよりも小型の車を製造することになり、他のGMの子会社の車体等を利用した小型車を製造し始めた。サンバードや6000、グランダムなどがそれであり、このころはOLの需要を狙ったものであるとされた。またフィエロなどの意欲的なモデルも投入されている。
しかし、1990年以降は層がかぶる日本車の影響や、SUVの人気(一応製造したもののイギリスにぼろくそに言われたフィエロ)などもあり低迷。しかしオーストラリアのホールデン開発の自動車や他社ののOME車両(ヴァイブやサンランナー)により支えている状況であった。
エントリー・ブランドであったシボレーがスポーティー路線になったこと、ゼネラルモーターズ業績の低迷を受け、2010年に廃止された。
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pixivにおいて
自動車のブランドに関するイラストしか存在しない。