曖昧さ回避
・ブロードウェイのミュージカル舞台「Wicked」に登場するウィンキー王国の王子様。但し、こちらは綴りが「Fiyero」となっている。
概要
かつて「ポンティアック・トランザム」や「ボンネビル」、「GTO」でスポーツカーを好む若者層から絶大な支持を受けていたポンティアックが、1983年から1988年まで販売していた乗用車。車名の「Fiero」は、イタリア語で「非常に誇りに思う」を意味する。
アメリカ車のクーペとしては初めてリアミッドシップレイアウトを採用したクルマである。
ミッドシップならではのシャープなデザインとリトラクタブルヘッドライトを採用しているため、一目でスポーツカーと分かるデザインが好評だった。
車重は軽く(1,100kg)、価格も安い(1万ドル以下)ため、手軽にMR車の雰囲気を味わえる車となっており、スポーツカー、ましてや扱いづらいとされるMRには手を出しづらいという購買層から評価されている。さらに街乗りの平均燃費が約13km/Lと、アメ車としては異常なほどの燃費の良さを誇る。このため、本場アメリカでは「燃費リーダー」の異名を授かっている。
また、シートにカーステレオを統合していたり、ボディパネルにカスタムが容易なFRPを採用するなど、革新的な要素を多く取り込んでいた。
問題点
そんなスポーツカー然とした見た目に反して、スポーティーな走りが期待できるスペックではなかった。2.5リッター直列4気筒エンジンの最高出力はなんとたったの93馬力(当時「所詮カローラ」とバカにされていたハチロクより20馬力も低い数値である)。ブレーキやサスペンションなどは当時のシボレーやポンティアックの前輪駆動セダンから流用されたもので、ハンドリングもミッドシップを感じさせるものはほとんどなかったそうな。
そのため「狼の皮をかぶった羊」等と散々に揶揄されている。ポンティアックのエンジニアをして、「これはマッスルカーじゃなくて、通勤自動車がたまたま2シーターだっただけ」と言わしめる程。
ミッドシップスポーツカーとしてはあまりに中途半端に見えるこのクルマがなぜ生まれたのかというと、オイルショックの影響で低燃費な4気筒のクーペが必要だという発想がポンティアックの若い技術者に芽生えていたためである。ミッドシップは徹底した軽量化と空気抵抗削減が目的だった。
前述の「通勤自動車がたまたま2シーター」という発言は、コルベットとのキャラクターの被りを気にしたGMの上層部に対しての返答だが、決して苦し紛れの言い訳ではなく、本気でそういうクルマが必要という考えがベースにあったということである。
また当時のアメリカでは「セクレタリーカー」というジャンルが芽生えつつある時代だった。セクレタリーとは秘書、つまり秘書の女性が通勤用として使うような、小さくて流麗なフォルムのクーペが人気を集め始めており、そういう意味でも時代の最先端にいた。
しかし実際は世間的にはオイルショックの影響はすでに過ぎ去った後だったため、市場は再び高燃費のマッスルカーを欲するようになっていた。1984年には4速ATのギア比が「燃費重視」と「パフォーマンス重視」の2種類に分けられ、さらに1985年には高性能なボディチューニングを施した上で2.7リッターV型6気筒(最高出力136馬力)エンジンを搭載したグレードも追加されている。
こうなると最初のコンセプトから大きくブレてしまっており、中途半端になってしまった感は否めない。とはいえセクレタリーカー需要と、金の無いマッスルカー好き若者の需要を満たす存在として一定の市場評価を得ていた。
そんなフィエロの寿命をクリティカルに縮めたのは、安全の問題である。ボディの衝突安全性こそボルボを凌ぐレベルで安全だったが、色々技術的に無理をしてミッドシップにした結果、発火しやすいという問題が発生し(何と508台に1台が爆発していたそう)、リコールを何度も行っている。原因はコネクティングロッド関連の設計の甘さによるものだった。
発売直後は生産ラインが足りないレベルで売れまくっていたものの、この発火問題でイメージは損なわれて大きく販売は失速、なのにリコール費用は嵩むという利益率悪化コンボをモロに喰らい、わずか5年で生産は終了した。
最終の1988年はより高性能な準マッスルカーとしてのチューニングが施された気合の入った仕様が追加されたが、如何せんブランドイメージを傷つけすぎてGM上層部の不興を買っており、半ば強制的な廃番であった。
販売実績は合計370,168台。参考までに、トヨタ・MR2の最初の5年間に於ける製造台数は163,000台。実に2倍以上が売れていることになる。
後継車としては2005年発売のソルスティスが挙げられる。
現代における人気
この自動車、40年近くが経つ現在でも一部の層からは絶大な人気を誇っている。
もちろんフィエロマニアが各モデルをコレクションしているのは確かだが、それ以上に、フィエロはレプリカのベースとしての素性がとても良く、スーパーカーを欲する層から今でも支持されている。
そもそも、ポンティアックは1987年から、ディーラーオプションとして「メラ」をフィエロに用意していた。これは、ボディパネルをフェラーリ・308GTB風(というかまんま)に交換するという物で、つまりはメーカー公式でレプリカを作っていたという、全世界を探しても類の無い例である。後に「メラ」はフェラーリ社直々に抗議が入り、生産停止となった。
ボディフレーム、外装パネルともに交換・加工がし易く、自分で車を組み立てるキットカー文化の栄えているアメリカなこともあり、現在確認されているだけでも
・フォード・GT40
等、数えだしたらキリがない程のモデルが、愛好家たちによって複製されている。
また年によってトランスミッションやボディ色などの仕様がだいぶ異なっており、何気なく入手したその個体が貴重な仕様、ということもよくある。例えば黄色いボディのフィエロは、1988年のみ購入できた仕様である。
関連タグ
関連動画
1980年代当時のCM
当時の正規ディーラーで使われていたフィエロ・メラの販促動画。堂々とレプリカの宣伝をしていたとは…