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登場背景編集

国鉄分割民営化時の山陽新幹線の列車は各駅停車のこだまと、新幹線特例法で定められた運行時間帯に対する制約から東京駅に発着出来ない早朝深夜のひかりを除けば基本的に東海道新幹線から乗り入れてくる16両編成のひかりを博多まで延長運転したような形態だった。

東海道新幹線に比べて収益構造が弱い山陽新幹線をいかにしてドル箱にするか考えたJR西日本は、最も売上の見込める京阪神地区対北九州市・福岡市間が航空会社との競合が激しい事に着目。そこで航空会社から客を奪取すべく保有する0系にアコモデーション改善を行ってデビューさせたのがこのウエストひかりである。そして、0系における最後まで存在した定期「ひかり」運用でもあった。


車両・編成編集

車両は全て0系だが、以下のような改良が施されている。

塗装編集

従来の0系と異なり100系に似せた窓下に細帯を配するデザインとした。地色は当初は0系オリジナルのアイボリーホワイトだったが、1990年から100系と同じパールホワイトに変更している。また旅客乗降用ドアの横にはウエストひかり仕様車である事を示すWをかたどったロゴが貼り付けられた。

車両設備・内装編集

国鉄分割民営化の際、当時の最新鋭車両である100系は全てJR東海が持っていってしまったため、JR西日本は保有する0系のうち比較的状態のいい車両を対象に延命工事と内装改良工事を行いウエストひかり仕様に更新した。

当初は6両編成4本がWR編成(編成番号の表示はR50番台)ウエストひかり仕様になり、1988年3月のダイヤ改正から航空機の運行されていない時間帯に4往復を設定。

WR編成は全車普通車で、座席を標準の3+2配列から2+2に変更している。好評のため1988年5月の大型連休時にはグリーン車2両を増結。夏を前に12両へ増強された。

運行上は12両編成のウエストひかりはSk編成として一括で括られていたが、ビュッフェ車とグリーン車を組み込んだ編成はWK編成、ビュッフェ車・グリーン車・シネマカーを組み込んだ編成はWKV編成と呼ばれる事もあった。

試行的に導入した車内放送や検札、車内販売の声掛けを省略した「サイレンスカー」の評判がよく、後継のひかりレールスターでは本格的に導入されている。

座席編集

先述の通り普通車の座席を2+2のリクライニングシートに交換し、横幅を広げている。奇数号車と偶数号車でモケットの色が異なり、全座席が回転可能。

番台区分上は1000番台・2000番台を改造した5000番台・7000番台で、シートピッチは両者共に980mmに統一された。しかし1000番台はもともとシートピッチ940mmで窓が割り当てられており、5000番台に関して座席と窓の配置が一致しない席も出来てしまった。

12両化後以降に組み込まれたグリーン車、シネマカー(WKV編成のみ)はグリーン車は1000・2000番台を種車に座席を100系G編成・V編成と同等の物に更新。シネマカーには初期型である0番台を改造して導入した。

ビュッフェ車編集

ウエストひかり化に伴い、ビュッフェ室を拡大。ビュッフェ内に椅子とテーブルを設置するなどの工事を施し車両番号も5000・7000番台から5300・7300番台に改番された。

このビュッフェ車は1編成ごとに内装の色や椅子の形状が異なっているなど非常に手が込んでおり、名目上はビュッフェ車とされているものの、実際は食堂車と称しても遜色のない物であった。

食事としては主にカレーライスなどが丸玉給食によって提供されていた。

シネマカー編集

映写室、コンセントを備えたビジネスルーム、客席の3つで構成されている。当初は山陽新幹線内のひかり号用として「ひかりビデオカー」の名称で運行し、WR編成と組み合わせる事でウエストひかり化された。

映写室は「映画館をイメージした本格的なビデオ室」として客室部分を壁で仕切り、ビデオ室は食堂車と同じように窓側に通路を設けている。遮光カーテンを取り付け、50インチスクリーンに専用プロジェクター、スピーカーを使用した本格的な物だったが、乗車時間の関係から客の入りは悪く、設置当初入室料として600円を徴収していたのを500円に値下げ。果てには入室料を無料化までしたが、それでも人気は振るわず、普通車に置き換えられた。

入室料無料化後は車内の暗さを利用して昼寝目的で利用する乗客もいたという。

新幹線初の2編成併結運転編集

ウエストひかり用R編成のうちR51編成だけは他の編成が12両化された後も6両で残っていた。しかし多客時には輸送力が不足する事から、ウエストひかり改造を施工していないR23編成6両を連結した12両で多客時を乗りきった。新幹線で2編成を連結して営業運転を行ったのはこれが初とされている。なお、0系の先頭車連結器は非常救援用のため、恒常的な営業運転で使う事は想定されておらず、連結器の強化改造を別途実施している。これに先駆けて、ドクターイエローT2、T3の両編成の非常用連結器を外側に展開出来るように改造を施し(後の200系K編成の併結機能に近いが、常時併結を想定した本格的な物ではなく、あくまで簡易的な併結機能である)、併結試験を実施してデータ収集を行っている。

この連結運転時、R23編成は普通車自由席、R51編成は指定席として扱われ、当然の事だが指定席から自由席への通り抜けは出来なかった。

この列車は後年電車でGO!山陽新幹線編でひかり51号として再現された。


引退経緯と運行終了後の処遇編集

車両の陳腐化が進んだ事や、山陽新幹線区間の列車の更なる速達化を見越した車両の高速化の実現のため、2000年3月11日に運行開始された700系ひかりレールスターに置き換えられ、同年4月にウエストひかりは消滅。同時に0系からグリーン車が姿を消し、東海道新幹線開業時から続いた0系のビュッフェ営業も終了した。Sk編成は廃車・解体されたものの、ウエストひかりに改造された際に同時に延命工事も施されていたために、車両の状態が同時期に運用されていた100系よりも状態の良い車両が多かった事と、接客設備自体は非常に評判が良かったという複数の事情が重なり、一部の車両は6両のWR編成に再組成されてこだま運用に転用される事となり、2008年12月の完全引退まで活躍した。

関連タグ編集

JR西日本 ひかり号 0系 山陽新幹線

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