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グランドひかり

ぐらんどひかり

1989年から2002年まで東海道・山陽新幹線の「ひかり」に充当されていた、JR西日本所属の100系3000番台編成(V編成)の愛称。
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登場背景編集

1987年の国鉄分割民営化直後、当時の最新車両であった100系X編成・G編成は全て東海道新幹線を引き継いだJR東海が継承し、山陽新幹線を引き継いだJR西日本は、民営化直後の段階では0系しか所有車両がなかった。

そこで、旅客サービスの向上と到達時分の短縮を目的に東京-博多間の「速達ひかり(Wひかり)」用として、JR西日本オリジナル仕様の100系を製造する事となった。それがグランドひかり(100N系)である。1989年3月11日より東京-博多間の「ひかり」2往復でデビューし、以後は主に東京-博多間の「ひかり」はもちろんの事、山陽新幹線区間内の「ひかり」や東京-姫路間・名古屋-博多間の「ひかり」などにも充当されて活躍した。


車両は細かい点で既存のX編成・G編成と違いがある事から、新たに3000番台の番台区分が与えられ、編成記号をVとしたV編成となった。全9編成が製造されている。


車両設備編集

外見上の最大の特徴は、100系の目玉である編成中央部の2階建て車両を4両に増やした事である。またG編成ではカフェテリアとなって削除された食堂車が復活した。

2階建て車を4両に増やしたため、X・G編成では付随車となる先頭車は、将来の短編成化も見据えて制御電動車となり、シャークノーズ下部には主電動機冷却用の空気取り入れ口が設けられた(これにはもう一つ理由があり、V編成完成前の1988年10月、JR西日本がJR東海所属のX7編成を借用しトランスポンダ車上子を仮設し、230km/hの確認試験を行った際に、先頭車の主電動機が十分に冷却出来ない事が発覚したための措置である)。その他にもさらなる速度向上のため各部の構造が見直されている。


編成としては、1~6号車と11号車~16号車は平屋建ての普通車、7号車~10号車は2階建て車両で、1階は7・9・10号車が普通車指定席で8号車は売店、2階は車窓からの展望が良い事や乗客の通り抜けがない事から、7・9・10号車がグリーン車、8号車が食堂車に設定された。


2階建てグリーン車の1階席は普通車としたが、快適性や車窓に劣るため座席の横幅を広げた2+2の普通車指定席とした。7号車にはビデオスクリーンが、9・10号車にはモニタディスプレイが設置されてビデオ視聴を可能としており、その豪華さから常連客が出るほどの人気を博したという。


食堂車は出入口の装飾をX編成のエッチングからステンドグラスに変更し、壁面に大きな飾り花が設けられた。内装も椅子やテーブルクロスを変更している。

また、東京-博多間の長距離運転を基本とした事から、1階の売店は面積が従来車の2倍に拡大された。


X編成・G編成で連結されていた平屋グリーン車は連結されていない。


最高速度は東海道区間では220km/h、山陽区間では230km/h。

山陽区間ではATCの220km/h信号を車両側に設置したトランスポンダ車上子を用いて230km/hに読み替えていた。これにより東京~博多間は5時間44分まで短縮された。


なお、将来の270km/h運転を見据え、車両自体には270km/h運転が可能な走行性能が与えられていた(構体の耐圧性能の強化、歯車比の高速化、ブレーキ性能の強化など)。実際に270km/h試験走行も行い(この試験走行に供された車両には、275km/h達成への願いを込めて、先頭車両の鼻の上には青い文字で、二階建て車両の青帯には山吹色の文字で「We try 275」と書かれていた)、1990年2月11日午前6時12分過ぎに小郡駅(現在の新山口駅)付近で、営業用車両としては当時日本最速となる277.2km/hを記録した(下のニュース映像はその前日に撮影された物で、この日の試験走行でも275km/hを達成している)。

しかし、実際は255km/hを超えた辺りから振動や騒音が急激に増大するなど、環境性能をクリア出来ず、時間短縮効果も当初の想定よりも得られないなどの問題により270km/hによる営業運転は実施されなかった。


結果的に、この試験走行が「昭和30年代に誕生した0系を祖とする100系の設計上の限界」を露呈させ、「既存車両の改良」ではなく「完全新規設計の車両」による270km/h運転の実現へと方針転換するきっかけとなった。


運行終了・引退編集

こうしてJR西日本で華々しくデビューしたグランドひかりだったが、東海道新幹線で1992年に運転が開始(山陽新幹線では1993年から運転開始)された300系のぞみや1997年に登場した500系のぞみや1999年に登場した700系はその高い性能から着々と本数を増やしていった中で、速度の遅い0系や100系はダイヤ作成の足かせになっていた事、山陽新幹線直通の運用が主であった事、更に車両の老朽化が著しく進んでいた事から、2002年5月に定期運用から離脱し、同年11月に営業運転を終了した。

さよなら運転が同年11月に実施され、この時は2000年3月改正以降イベント等以外で営業が休止されていた食堂車の営業が復活し、デビュー当時のグランドひかり最速ダイヤで運転するなど往年を彷彿とさせる演出が盛り込まれた。この時使用されたのはV2編成だが、2階建て車については状態のいいV9編成と差し替えられていた。


運行終了・引退後編集

グランドひかりとしての運用を終えた100系V編成の電動車は全てが何らかの形で4両編成のP編成、6両編成のK編成へ組成し直され、こだま博多南線の運用へと転属し、4両編成のP編成は2011年3月まで、6両編成のK編成は2012年3月まで運用に就いた。

2階建て車両についても何も再利用されなかったというわけではなく、グリーン車と普通車の2+2座席が流用され、食堂車の電光掲示板は0系WR編成へ流用された。


関連タグ編集

JR西日本 ひかり号 100系

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