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水谷八重子(初代)編集

(1905年8月1日 - 1979年10月1日)。

大正から昭和にかけての女優。新劇から新派に入り、戦後は新派の屋台骨を支える大黒柱として日本の演劇界に重きをなした。本名:松野 八重子(まつの やえこ)。


映画やTVドラマにも出演したが、主に舞台で活躍した。


水谷八重子(2代目)編集

1939年(昭和14年)4月16日生まれ。日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名は松野 好重(まつの よしえ)。

母は初代 水谷八重子。父は歌舞伎役者の14代目守田勘彌。映画俳優で歌舞伎役者の坂東好太郎は父方の親類にあたる。


テレビでも創成期から活躍していたことから、黒柳徹子横山道代と共に「三人娘」と称されている。初期の『NHK紅白歌合戦』へも4回出場。


人気絶頂だった1959年、ジャズドラム奏者の白木秀雄と結婚。スター同士のカップルとして注目を浴び、母・初代八重子とともに『ママと良重とヒデ坊と』という人気番組も受け持ったが、1963年に離婚。菊田一夫立ち会いのもとで二人揃って離婚会見をし、その際に発した「愛しているから別れます」という言葉は流行語の一つとなっている。


1960年公開の『妖刀物語 花の吉原百人斬り』(東映)における演技でNHK映画賞最優秀助演女優賞を受賞した。同時期の『悪名』シリーズでのヒロイン・糸路役は今なお映画ファンなどから高い人気を集めている。


1979年、渋谷ジァン・ジァンでの新派自主公演『恋女房』で演出に初挑戦。以後、泉鏡花作品を中心に新派公演で演出を手掛けている。


1979年の母・初代八重子の没後は、菅原謙二安井昌二波乃久里子とともに、「新派四本柱」として活動の中心を担った。


2024年10月21日、急死した日本俳優連合5代目理事長の西田敏行の後任として、6代目の理事長に就任した。

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