概要(史実)
天文17年2月8日(1548年3月17日) ~ 慶長15年10月18日(1610年12月3日)。
本名は本多平八郎忠勝(ほんだ へいはちろう ただかつ)。
戦国時代に活躍した武将で、徳川家康の配下「徳川四天王(徳川三傑)」の一人。
生涯参加した57の合戦において全て無傷で生還し「戦国最強の武人」として伝えられる人物。
鹿角脇立兜と呼ばれる特徴的な兜をかぶり、肩から大数珠を袈裟懸けに巻き、三国黒と呼ばれる馬にまたがり戦場に出陣していた。
得物は「天下三名槍」の一つとして数えられる名槍・蜻蛉切(とんぼきり)。
その切れ味から刃先に止まったトンボが真っ二つに切れたという逸話からそう呼ばれている。
人物の評価として「徳川には過ぎたるものが二つあり、唐のかしらに本多平八」と称賛され、織田信長からは「花実兼備の勇士」と称えており、豊臣秀吉からは「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と勇将として引き合いに出されている。
同じ徳川四天王の一人・榊原康政とは同年齢ということもあってか中が良く親友の間柄であった。一方で、同じ本多姓である本多正信のことは「腰抜け」「同じ姓だが無関係」とかなり嫌っていた様子。
(忠勝に限らす、正信は過去に一度徳川を出奔し出戻ったという経緯などから家臣たちの評判が悪かった)
BASARA忠勝を筆頭に誤解されがちだが、忠勝が戦場で無傷だったのはガッツリ鎧を着こんでいたというからではなく、むしろ装備は足軽並みの軽装であったとされる。(軽装については上杉謙信も同様であったとされる)
これほどまでに多くの武勇を轟かせて徳川家に忠義を尽くしたものの、本多正純(正信の長男)などの若く文治に優れた若手武将(吏僚派)の台頭のため、江戸幕府発足に際して中堅クラスの地位にとどまる扱いとなり、家督を長男に譲って以降は隠居生活に入った。
なお、彼は死の数週間前、隠居の身のうえで仏像を彫っている最中に小刀で指を斬ってしまったとされ、
これが忠勝にとって最初で最後の傷と思うと侘しい思いがよぎる……。
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創作物上の扱い
戦国無双シリーズ
CV:大塚明夫
『1猛将伝』からプレイアブル参戦。
家康に絶対的な忠誠を持ち、ただただ武を追求する豪将。
戦いに魅了されることを畏れる娘の稲姫に対して、時に助言を与えるなど父親らしい一面も。
口癖として「愚問!」「否!」などを使用する。
武器は巨大な両刃の付いた「豪槍」。戦国最強の名の通り、途轍もなく強い。
特に敵として戦う時には鬼神の如き強さを発揮する。しかも専用のテーマBGM持ち。
無双OROCHIシリーズでは三国志最強の武人、呂布とも戦う。
また、年頃の娘を持つ猛将で史実でも信長から例えられて絶賛されたことから張飛との親交もある。
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戦国BASARAシリーズ
本多忠勝(戦国BASARA)を参照。
戦国ランス
声優:なし
火力だけなら家康といい勝負。
物語中ではモブに近い扱いだが強くて愛嬌があると好評。
マッサージに拘っておりランスや家康に試してくるが、腕力ゆえに殺人級。
セリフが「(○○○)」で統一されており、本当に喋っているのか謎であるが意思の疎通はできている。
武将自ら突撃し、反撃を受けずにダメージを与える武将突撃や、合戦時に能力以上の力を発揮する攻撃運が持ち味。
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戦国武将姫MURAMASA
一部が半透明な漆黒の鎧を纏った球体間接のメカ娘(イラスト左端、それ以外の娘はプロトタイプ)。
燃料はmiso(恐らく八丁味噌)で、飛行機能(Flying Mode)や天ぷら機能(Frying Mode)など数々の機能を有する。
マスター・イエヤスの忠実なる家臣であり護身役。
性能的にはSR最高の防御力を有し、並のSSRをも凌ぐ堅い守りが特徴。ただし知力は足りてない。
強力連携「徳川四天王」を発動するのに必要な面子の一人でもある。
神羅万象シリーズ
詳しくは武神将軍大蛇タダカツを参照。
関連タグ
境界線上のホライゾン
本多・忠勝を参照。
殿といっしょ
※イラスト左の鹿角。
CV:坂本頼光
主に徳川軍や真田家絡みで登場する。
家康の家臣であり、小松の父親。常に鹿角兜を被っている。
かなりドジを踏む性格であり、戦とは関係ないところで怪我が激しい。それでも弱いわけではなく、名槍・蜻蛉切りを手に数々の戦で傷一つ負わなかった名将と名高い。