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本多忠勝の編集履歴2023/11/23 01:17:52 版
編集者:rarirureramses
編集内容:大河ドラマを追記・修正

本多忠勝

ほんだただかつ

戦国時代~江戸時代前期の武将。徳川家家臣。徳川四天王の一人。戦場で一度も傷を負わなかったことでも有名。

概要(史実)

天文17年2月8日(1548年3月17日) ~ 慶長15年10月18日(1610年12月3日)。

本多忠高の子。幼名は鍋之助。仮名は平八郎。

戦国時代に活躍した武将で、徳川家康の配下「徳川四天王徳川三傑)」の一人。

生涯参加した57の合戦において全て無傷で生還し「戦国最強の武人」として伝えられる人物。

鹿角脇立兜と呼ばれる特徴的な兜をかぶり、肩から大数珠を袈裟懸けに巻き、三国黒と呼ばれるにまたがり戦場に出陣していた。

得物は「天下三名槍」の一つとして数えられる名槍・蜻蛉切(とんぼきり)。

切れ味が鋭く、刃先に止まったトンボが真っ二つに切れたという逸話からそう呼ばれている。

人物の評価として「徳川には過ぎたるものが二つあり、唐のかしらに本多平八」と称賛され、織田信長からは「花実兼備の勇士」と称えており、豊臣秀吉からは「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花統虎(宗茂)という天下無双の大将がいる」と勇将として引き合いに出されている。

同じ徳川四天王の一人・榊原康政とは同年齢ということもあってか仲が良く親友の間柄であった。康政の外孫池田光政と忠勝の曽孫との間に生まれた玄孫池田綱政は多くの大名や公家に二人の血を伝えた。徳川慶喜細川護熙らが綱政の女系子孫である。

一方で、一時出奔していた同じ本多姓である謀臣・本多正信のことは「腰抜け」「同じ姓だが無関係」とかなり嫌っていた(正信は一向一揆のおり一揆側につき、徳川家を一度出奔したのち出戻ったという過去から、忠勝に限らず家臣たちの評判が悪かった。しかしながら、このときの一揆には徳川家臣団の大半が一揆側についており、ことさらに正信だけが悪いわけではない)。

BASARA忠勝のせいか誤解されがちだが、忠勝が戦場で無傷だったのはガッツリ鎧を着こんでいたからという訳ではなく、むしろ装備は足軽並みの軽装であったとされる(軽装については上杉謙信も同様であったとされる)。

この伝承については『戦国BASARA』以外の近年の創作物でもネタにされており、大河ドラマ真田丸』では、伊賀越えの際に顔に切り傷を負ってあっさり伝承を反故にされてしまっていたり、『どうする家康』では、榊原康政から「単に傷を負ったことに気づいていなかっただけでは?」とツッコまれていたりする。

数々の武勇を轟かせて徳川家に忠義を尽くしたものの、戦乱の世が終わりつつあり、法による統治が始まると、本多正純(正信の長男)、土井利勝などの文治に優れた若手武将(吏僚派)や南光坊天海金地院崇伝などが台頭し、自身が病に侵されたことなどもあって、江戸幕府発足に際しては幕政から遠ざかることなり、家督を長男・忠政に譲って以降は隠居生活に入った。

なお、この古参の武断派と新興の吏僚派の対立は、豊臣秀吉配下の武断派(加藤清正福島正則黒田長政ら)と文治派(石田三成小西行長前田玄以ら)との対立に通づるものがあり、ある意味、いずれの武将にも共通する悩みであったのかもしれない。忠勝流の不幸はむしろ、秀忠の娘婿になった嫡孫忠刻(家康曽孫)の早世や、長男・忠政と次男・忠朝の血統に分裂しての深刻な内紛にあり、幕末の時点では忠勝系本多家は小大名に転落していた。

なお、彼は死の数週間前、隠居の身のうえで仏像を彫っている最中に小刀で指を斬ってしまったとされ、この時、「本多忠勝も傷を負ったら終わりだな。」とぼやいていたという逸話が残されている。これが忠勝にとって最初で最後の傷と思うと侘しい思いがよぎる……。

関連タグ

戦国武将

徳川軍 三河武士

徳川四天王:本多忠勝、榊原康政、酒井忠次井伊直政

徳川家康:主君

稲姫小松姫):嫡子(第一子)

本多忠政:嫡男(第三子)

蜻蛉切:愛槍

創作物上の扱い

戦国ランス

声優:なし

怪力で寡黙な妖怪

火力だけなら家康といい勝負。

物語中ではモブに近い扱いだが強くて愛嬌があると好評。

マッサージに拘っておりランスや家康に試してくるが、腕力ゆえに殺人級。

セリフが「(○○○)」で統一されており、本当に喋っているのか謎であるが意思の疎通はできている。

武将自ら突撃し、反撃を受けずにダメージを与える武将突撃や、合戦時に能力以上の力を発揮する攻撃運が持ち味。

戦国武将姫MURAMASA

一部が半透明な漆黒の鎧を纏った球体間接メカ娘(イラスト左端、それ以外の娘はプロトタイプ)。

燃料はmiso(恐らく八丁味噌)で、飛行機能(Flying Mode)や天ぷら機能(Frying Mode)など数々の機能を有する。

マスター・イエヤスの忠実なる家臣であり護身役。

性能的にはSR最高の防御力を有し、並のSSRをも凌ぐ堅い守りが特徴。ただし知力は足りてない。

強力連携「徳川四天王」を発動するのに必要な面子の一人でもある。

神羅万象シリーズ

詳しくは武神将軍大蛇タダカツを参照。

殿といっしょ

※イラスト左の鹿角。

CV:坂本頼光

主に徳川軍や真田家絡みで登場する。

家康の家臣であり、小松の父親。常に鹿角兜を被っている。

幼い頃から家康に仕えており、今川時代から家康のことを「この世で一番偉い人」だと思い込み、上司である今川義元に対しても闘志をむき出しにして襲いかかっていた。

かなりドジを踏む性格であり、戦とは関係ないところで怪我が激しい。それでも弱いわけではなく、名槍・蜻蛉切りを手に数々の戦で傷一つ負わなかった名将と名高い。

信長の忍びシリーズ

#54 磯野、発進!#54 磯野、発進!byおすず(もちろん画像右)

家康に仕える猛将。天を突くような巨漢であり、徳川家最強と名高い。額にホクロがある。

武力は最強の「10」と、作中十指に入る猛将であるが、やたら「無傷」にこだわっており、たまに怪我をしてもノーカンだと言い張るなど、頑固さにおいても戦国最強である。頑固な面は思想にも表れており、千鳥に向け「軍議に女が参加するものではない」と叱責していた(実はこれ以前に軍議に紛れていたことがあるのだが、千鳥が貧乳すぎたため男だと勘違いしていたとのこと)。

真柄直隆との戦いでは彼を「最も強き武将」と称賛したものの、「『無傷で最強』はワシだがな」と意地を張っていた。

BRAVE10S

真田幸村の兄・真田信之の義父。勇猛果敢であり、十番勝負では真っ先に出陣し真田十勇士の三好清海入道を破ったほど老いてなお盛ん。

関ヶ原の戦いの後は信之の懇願を受け、彼の器に敬意を称し父と弟の助命を快諾した。

真田丸

演:藤岡弘、

徳川家康の側近で、正信と共に家康を補佐している(正信との関係があまり良好ではないのも史実通り)。

とにかく戦に出陣したがるような言動が目立ったり、北条軍と対峙した際に「正面から全力でぶつかり合うのが一番の策」等と発言して正信から「そんなものは策でもなんでもない」と窘められるなど、良く言えば「実直かつ正々堂々とした武人」、悪く言えば「脳筋」のような性格描写がなされている(だが、武田の軍勢を打ち破った後、戦死者を供養するなど慈悲深さを窺わせる描写も)。そうした無骨で融通の利かない性格故か、家康からは少々煙たがられている節がある。(本多正信の権力を強調するための誇張で、家康の血縁である子孫に触れられていないのは気の毒)

娘のに対しては深い愛を注いでいる…というか、最早親馬鹿の域に達しており、娘を心配して頻繁に駿府と上田を行き来しているほど。義理の息子である信之に対しては、(徳川と敵対した敵軍の将の息子ということもあり、)当初はあまり良い印象を抱いていなかった(娘を嫁がせる相手として相応しいかどうか疑念を抱いていた)が、北条軍に名胡桃城を乗っ取られた際の信之の堂々とした応対を見て以降は、彼を娘婿として認め、信頼の念を抱くようになる。

晩年、孫たちのために竹蜻蛉を作ってやった際に小刀で指を傷付けたことに気付き、家康に引退を申し出た。それから程なくして、この世を去る。

なお、撮影用の鎧兜は金属製であり、藤岡氏が後述する通り忠勝に強い敬意を払っているため、わざわざ本物に近い重量の鎧や武器を着用して演技を行っているとか。

余談

藤岡氏は以前にも5度大河に出演しており、「おんな太閤記」(1981)及び「春日局」(1989)では織田信長役を演じている。

ちなみに、中の人がかつて国民的ヒーローを演じたことから、視聴者の間では、「仮○ライダー忠勝/ホンダ」「忠勝が戦場で一度も傷を負わなかったのはシ○ッカーに改造されたから」等とネタにされることとなった(奇しくも、『真田丸』の放送された年に、藤岡弘、氏企画・主演のライダー映画が上映されたこともこうしたネタに拍車をかけることとなった)。

一方で、藤岡氏は武士道に対して造詣が深かったことから、「これまでで忠勝を演じてきた役者の中で一番様になっている」と評する声もある。

5話の伊賀越えで、鼻に傷を負っている描写があるが、これは演じた藤岡氏が勢いよく藪の中に突っ込んだ際についてしまったものらしいことが、NHKのツイッターにより明らかになっている。ちなみに、伊賀越えの描写も、かつて藤岡氏が出演していた番組を捩って「本多忠勝探検隊」などとネタにされた。

なお、2016年春に公開された映画『仮面ライダー1号』本郷猛と共演した仮面ライダーゴースト仮面ライダースペクターにはそれぞれ「リョウマ魂」「ノブナガ魂」という形態が存在しており、この二人の偉人はどちらも藤岡氏が大河ドラマで演じている(藤岡氏は1974年の『勝海舟』にて坂本龍馬を演じた)。偶然だろうが。

36話の関ヶ原の戦いでは数人の兵士とともに家康の側近くに控え、戦にいきり立っているところで出番終了というまさかの展開を見せている。

おんな城主直虎

演:高嶋政宏

前年の藤岡氏とは別の演者を起用して中盤から登場。

高島氏は前年の藤岡氏の演技を参考にしつつ、それよりも若い頃(時系列上は20代~30代半ば)に見えるよう、テンションの高い演技を心がけたとか。そのため情に厚く曲がった事を嫌う実直さが共通しているが、若干気が短く先走りやすい性格になっており、冷静で思慮深い榊原康政とは互いを補い合う同僚兼友人のような間柄として描かれている。脚本を手掛けた森下氏曰く「爽やかなスポーツマン」のイメージとの事。

小姓から家臣に出世しようと意気込む万千代(直政)の事はそのひたむきさを好意的に評価しており、猪突猛進が過ぎてしばしば他の小姓や家臣たちから邪険に扱われる事もある彼を時折労い励ますような言動は、体育会系の気のいい先輩のような印象を与えた。これも指導役として万千代らに厳しく接する康政とアメとムチのような対比を成している。

一方で本多正信の事は露骨に嫌っており、帰参して草履番の中に混じっているのを見た際には怒りに任せて殴り掛かった上、斬り殺そうとしている(康政の静止で思い止まった)。その後も正信が何か発言する度に悪態を吐いている。

ドラマ全体を見ると同じ徳川四天王でも酒井忠次が重要な役割を果たしているため、本編での活躍は少ない方だが、それでも長篠で山県政景を討ち取るなど最強武将としての姿はしっかりと描かれている。石川数正が処刑された瀬名に殉じて腹を切ろうとした際は蜻蛉切を走る馬上から投げつけて阻止する芸当を見せた。

どうする家康

演:山田裕貴

本作でも、のちに「戦国無双」と称えられる徳川四天王きっての猛将にして、愛槍「蜻蛉切」を操る槍の名手として登場。通称「平八郎」。

初登場時には(大高城から逃げ出していたとはいえ)、主君である元康に向かって槍を突き付けるという暴挙に出た挙句、「恥ずかしくないのか!」「俺はお前を主君と認めん!」と吐き捨てた

ちなみに、この戦いが初陣であり、一応当時はまだ13歳である(この戦いの直前に元服はしている)。だが演者が30歳近くの山田氏であったため、成長著しい平八郎」とネタにされた。しかし戦国最強武将の年少期としてはむしろこれぐらいの貫禄の方が妥当だと言えなくもない。

序盤から前半の合戦シーンでは裾の長いコートのような黒い羽織を着ており、他の大多数の三河武士同様、鎧も兜も飾り気の無い簡素な物を使っていた(中盤にはそれに顔が半分隠れるような面頬が追加)。見慣れた鹿角の具足姿を初めて見せたのは後半に四天王が揃い踏みした小牧・長久手の戦いだった。

後半は髭を蓄えた姿になり、稲と真田への輿入れを巡って揉めた上に最後は娘の成長を見て涙するという、藤岡版忠勝を思い出させるような頑固親父ぶりも描かれた。

ラヴヘブン

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはHRでの登場。

異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。この世界では少年の姿である。

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