札幌市電
さっぽろしでん
この路面電車は執筆時点でも運営されており、一部区間で延伸も予定されている。また札幌市周辺の人々はこの鉄道を単に「電車」と呼ぶことがある(これは国鉄の路線の電化が1960年代後半になったためであると思われる)。
また、路線上の雪を払うためのササラ電車が冬の間運行される。
路線の概要
これはこの記事を執筆している2015年時点の数字である。
全長:西4丁目-西15丁目-中央図書館前-すすきの 8.41km(一条線、山鼻西線、山鼻線の3路線、基本一体運用)
全線複線、直流600V電化
停留所数:23
車両:30両。6系統に分けられる、後述
車両
現在使用される車両は6つの系列に分けられる。なお先頭「A」は連接車、「M」は連結車、「雪」は除雪車である(ほかにディーゼルを示す「D」が存在した)。
2XX形-昭和30年代に製造された丸みを帯びた車両。北海道内で製造された。210形、220形、240形、250形(これは以前使用されていた500形の車体更新)。
M100形-連結電車の親機、子機は廃車され、資料館保存となっている。
85XX形-昭和60年代の新製車両、VVVFインバータ搭載。8500形、8510形、8520形。
歴史
私鉄として
この交通機関の所有する路線の元となったのは、明治43年に運用が開始され、明治45年には市街地にまで路線を延伸した札幌石材馬車鉄道という軌間762mmの馬車鉄道であった。
大正7年、博覧会が札幌市で開かれることになり、この鉄道を路面電車化することになる。当初は馬鉄軌(1,372mm、ちなみに日本では京王線、都電、東急世田谷線などが採用している)で車両などをイギリスより輸入する予定であったものの、第一次世界大戦の勃発により輸送が期日までに間に合わないため、アメリカよりレールなどを、車両は名古屋電気鉄道(名古屋にて路面電車および近郊への電車を提供していた私鉄、名古屋市の市内鉄道公営化により解散、なお近郊路線部門は名古屋鉄道の元となった会社)の中古車両を購入することになった(ために国鉄などと同じ1,067mm軌間となった。ちなみにそこまでしても残念なことに開業は博覧会の開催初日に間に合わなかった)。
当初は雪に悩まされ、馬そりにて代替運転をすることもあったものの、大正14年にササラ電車が発明され、それはかなり解消された。
市営化
昭和2年、路面電車は市営化された。このときの路線の総長は16.3km、車両63両であったが、その後も開発は進み、昭和7年には(戦後延伸された鉄北線区間以外)ほぼすべての路線が完成したとされる。戦争中、陸軍の北部軍司令部月寒への路線の延伸の申請があったものの、それに答えることは出来なかった。
戦後
戦後一部路線(中島線)が廃止されるも、まだまだ利用者数は衰えなかった。周辺自治体の合併により路線の拡張が必要となり、計画自体は存在したものの、路線買収の困難さおよびその後の利用者の減少により鉄北線の新琴似間での延伸しか出来なかった。
なお、この延伸においては当初電化できず、気動車による運行が行われた(路面電車のディーゼル車運行はかなり珍しい)。この状況は昭和38年より昭和42年まで続いたが、気動車の運用は昭和46年まで続き、その後古い台車と組み合わせ車体のみを利用する形で使い続けられた(一部は昭和60年代まで使用された)。
このころ総長は最大で25km以上であった。
衰退期
鉄道の利用者は昭和39年をピークとして減少している。これは路線バスおよび自動車の利用が増えたこと、停留所の統廃合により利便性が減少したことによるものと思われる。
それに追い討ちをかけるように昭和41年札幌オリンピックの開催が決定し、それと同時に地下鉄、現在の札幌市営地下鉄南北線を建設することになる。
通常であるならば京都市電のように市電の全廃となりかねない事件であったが、雪の影響でバス代替が難しかったこと、一部区間のみであったたっめ全線廃線とはならなかった。しかしこの影響は大きく、昭和46年から昭和49年にかけて路線の大半が廃止されてしまった。
一時は全廃も検討されたものの、沿線住民からの存続要望が強く、札幌市はそれを受けて存続する方向で営業し、平成13年には北海道遺産(北海道に関係する自然・文化・産業などのうち次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定した有形無形の財産群)にも指定されている。
なお、執筆時点においてはライトレール化や路線の延長などが審議され、環状運転となる西4丁目-すすきの間の延伸が現在行われている(執筆時点では今年中に営業開始予定となっている)。