南アメリカ大陸内陸部に位置する国家であり、首都はアスンシオン。公用語はスペイン語およびグアラニー語( 南アメリカ先住民の言語 )。
国旗のデザインが裏と表で異なり、これは現時点ではサハラ・アラブ民主共和国が同様の状況となっている。
歴史
この地域はインカ帝国の支配地から外れてはいたものの、粗放とはいえ農耕を営んでいたインディオ、グアラニー人が居住していた。16世紀にスペインの支配下にはいるが、他のインディオとは異なり、スペイン人との同盟を結ぶことを選択し、交流が生まれた。また、首都であるアスンシオンはこのころ建設された。
17世紀から18世紀中ごろまでイエズス会、キリスト教カトリック教会の男子修道会であり教皇と深いつながりが存在した団体であり日本にキリスト教をもたらしたことでも有名な団体であるが現代においても組織は存在する、の影響も強かったものの、スペインから追放されたため彼らは撤退した。
当初はペルー副王領( 君主、ここではスペイン王の代理人として統治するスタイル、総督と同じ程度の意味 )に所属していたが、18世紀後半、リオ・デ・ラ・プラタ副王領に分離された。それにもかかわらず19世紀前半までは特に大きな事件もなかった。
独立
1810年、リオ・デ・ラ・プラタ副王領の首都であったブエノスアイレスにて革命が発生し、現地政府が成立した、ところがこの領域の州の一つであったこの国はそれを認めず、逆に共和国として独立した。この独立はラテンアメリカにおける初の正式な独立であった。
そしてその国はホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア執政官による独裁が始まった。彼の統治は特に性的には厳しいものであり、恐怖政治に近いものであったといわれるものの、経済政策等は先進的なものであり、この時代国は非常に発展したといわれる。
独裁は彼の甥であり、大統領となったカルロス・アントニオ・ロペス、その子であるフランシスコ・ソラーノ・ロペスの三代にわたった。
1863年、ウルグアイの内戦に首を突っ込む形でブラジルと戦争を起こす。ところが、頼りにしていたアルゼンチンの反体制派の指導者は動かず、さらに援助していたウルグアイの政権が崩壊、一国でこれら三国を敵に回す状況に陥った。この戦争を裏で手を引いていたイギリスの活躍もあり、敗北し、大統領は戦死、領土は戦前の四分の三となり、人口も半分以下になる、という結果に終わった。
軍事政権
そして政治的にも経済的にもボロボロとなり、人口の不足をヨーロッパからの移民により補うようになったが、他の国よりもその量は少なかった。
20世紀になってからも経済的に不安定な状況であり、軍事政権が成立。またパラグアイ北西部に存在したグラン・チャコをめぐり、ボリビアとチャコ戦争が勃発、ボリビアを押し返し逆にボリビア内に侵入するもそこで資金がつき、講和となった。この戦争において領土は得たものの、膨大な戦費と4万人の損失に比べれば割に合わないものであった。
このころ、日本からの移民がブラジルへの移民が規制されたことにより始まる。
第二次世界大戦においては連合国として何とか乗り切るものの、1947年に内戦が勃発するも、支配者層が勝利するも20万人が亡命する。
1954年、ブラジルの手引きもあり、アルフレド・ストロエスネルがクーデターにより大統領となる。この政権は35年続いた。この政権において日本と移民の契約が結ばれている。
政権初期は不安定であったものの、徐々に安定、言論弾圧を行い、反対派を力で押さえていたものの、外国からの借款を受けて国内の近代化を推し進めたことにより経済的には安定させた。しかし、統治後期になると汚職等政治の腐敗が進み、クーデターにより政権は終了、大統領は亡命した。
クーデター後、民主化政策をとったことにより文民統治が成立することになる。
文民統治
軍事政権が終了したといっても、それよりもよくなるとは限らなかった。逆に政権は不安定となり、さらに軍部は力をいまだに持っている状況であるため、話はややこしくなっている。
そのほか
- 農業を産業の主としているが、貧富の差が大きく、問題となっている。
- 内陸国にもかかわらず、海軍を所有する。これは一応河川を伝って大西洋まで進出可能であるためであるが、実質水軍である。
- 中華民国と国交がある。これは長らく反共政策を取っていた際の名残である。
- 日本国との関係が良く、伝統的に友好関係が続いている、また、日本が最大の援助国となることが多い。
- 日系人はこの地において当時は輸出用作物の栽培及び牧畜が主であった農業に対し自給自足の作物栽培の道を開き、現地の栄養事情を改善し、その後の農業政策に大きな力となった。