モデルとなった大日本帝国海軍の駆逐艦については「春風(駆逐艦)」を参照。
図鑑データ
「神風型駆逐艦の3番艦、春風と申します。司令官様、どうぞお見知りおきくださいませ。」
第五駆逐隊、概要。出撃させていただきます。抜錨です。
2016年5月2日~3日のアップデートにより実装された。
しかしながら、他の神風型姉妹と同様に現時点ではイベント海域以外での入手方法はなく、初実装された2016年春季イベント『開設!基地航空隊』はRTA勢すら音を上げた凶悪難易度として知られ、同イベントで彼女と邂逅を果たすには最終海域・E7のボス戦にてA勝利以上の戦績を収める必要があった。
容姿と参りましょう。皆さん、春風に続いてくださいませ。
セミロングの茶髪の後ろ髪を縦ロールにして肩から前に流し、前髪は左で七三分けにし、緋色の大きなリボンを結っているのが特徴。ちなみに瞳の色も緋色。
上の服装は緋色の縁飾りのある桜色の振り袖と、その内側に白い振り袖を着た二枚着。
下は翡翠色の腰帯を巻き、その上からリボンと同じ緋色の袴を着用。
袴には流れ桜の柄があしらわれており、袴を締める緋色の腰帯の先には錨が付いている。
全体的に和テイストだが、靴は茶色のハイヒールロングブーツを履いており、大正ロマンを匂わせるハイカラさを醸し出している。
ちなみに同時期に実装された姉妹艦の神風とは上下で服装の配色が真逆になっている。
艤装は艦橋から煙突が生えたような基部ユニットを腰のあたりで接続しており、煙突の前にはマストが一本屹立している。
また、基部ユニット両側には上向きに2連装魚雷発射管が装備されている。
基部ユニット底部には体を挟みこむように凹型フレームが付いており、その先に艦側面を模した台座が接続されており、その台座前方に12cm単装砲が一基ずつ、後方に25mm三連装機銃が一基ずつ乗っている。
艤装と関係あるかは不明だが、その手には緋色の和傘が持たれている。
ちなみに胸は駆逐艦としては有る方。
性格が?本当ですか?有難う御座います。嬉しいです。
とっても物静かで淑やかであり、まるで深窓の令嬢を思わせるような気品と儚さにあふれている。
というより、「ハイカラ」などの死語を普通に使っている事からも、彼女の語彙もしくは世界観が大正時代あたりで止まっているのではという疑惑も有る。
また、常に囁くようなか細い声で話し、そのウィスパーボイスは提督達の眠気を誘う。
一見すると何も出来ない箱入り娘のようにも見えるが、家事全般を卒なくこなすなど生活力は意外と高い。またとても献身的な器量良しでもあり、その姿には理想の大和撫子を見るものも居る。
ただし自身に旧型艦という自覚があるのか戦闘は若干苦手としており、艦隊戦よりも主に海上護衛を希望している。
姉妹艦の神風を「神風お姉様」として慕っており、それ以外の艦娘に対しては「さん付け」で呼んでいる。
特に二番艦の朝風には強い想い入れが有るらしく、提督にも「大切なパートナー」として紹介している。
姉妹艦以外でいうと軽巡の川内と交流が有り、料理を教えてもらった代わりに夜戦に誘われる一幕がある。
ちなみに多くの艦艇がいる鎮守府に居る事を幸せと感じており、彼女達を護る為にその身を捧げたいとも考えているが、それは彼女の儚さと相まって、しばしば死亡フラグ扱いされている。
提督に対しては「司令官様」と呼び、気遣い慕っている様子。
男女の仲については直接言及しておらず、本人も居住まい崩す事なく常に一歩引いた立場で接している為、その真意を測るのは難しい。
戦歴をご覧になるのですね。
神風型(二代目)駆逐艦、という事で太平洋戦争時は既に旧式となっていた春風。
色々ワケありながらも2代目春風の名前を継承し、戦前は『艦これ』登場艦の艦長らが乗り組んだ事もある立派なお嬢様艦なのである。
開戦当時は名取率いる第五水雷戦隊所属艦として輸送任務をこなし続け、様々な戦いを経てなおボロボロになっても終戦の日まで旭日旗を掲揚していた古強者。
彼女の艦歴において戦闘におけるものは決して華々しくはなかったが、戦闘だけが戦争では無いという事をはっきりと証明しており、以下はその簡単な略歴である。
- 名取率いる第五水雷戦隊としてバタビア沖海戦に参戦したが、それが生涯唯一の海戦であった。
- 潮の流れが悪く誘導ブイが流されてしまった為に味方の機雷に触れてしまい艦首寸断であわや轟沈寸前!と言うところまで行ってしまったが、幸運にも助かっている。
- 春風が護衛する輸送船団は「幸運の船団」とまで呼ばれていた。この頃に敵潜水艦を撃沈していたりするから侮れない。というのも、任務中あるいは戦闘中に潜水艦から攻撃を食らってしまい沈む艦艇は少なくなかったからである。かつての上司、名取もその1隻だったりする。
- 輸送任務中12日間漂流してなおも乗員含めて生還した。
- その修理中に港へ空襲があったが、幸運にも完全な直撃を免れる(ただし乗員には被害が出た)
- 更にその後、艦首修理の為に佐世保に戻ると偶然哨戒飛行をしていたP-38を発見するが「幸運にも」P-38には見つからず、佐世保港へ入港できた。
- しかし、戦争末期であった故に佐世保も決して安全な場所ではなかった。しかも、修理不可能と判断され佐世保に係留される日々が続くその頃、佐世保へ帰って来る傷付いた駆逐艦達を見て春風乗員達は「どこかで戦闘があったのだろう」と思っていた。それは後にあの海戦を生き延びた艦である事が分かり、同時に不沈艦と呼ばれたあの艦が沈んだ事を知る事となったという。
- 更にその後の佐世保空襲からも生き延びて遂に軍艦の墓場と呼ばれる場所へ移動し、南の方に閃光が落ちた日があった。乗員達は「とんでもない雷が長崎に落ちた」と話していたが、それは敵の新型爆弾だった…というトンデモエピソードさえある。
そして日本が連合国に降伏して終戦を迎え、平穏を取り戻しつつある……1955年の話である。
海上自衛隊で日本製の護衛艦…即ち、戦闘艦を建造する時、「ゆきかぜ」をネームシップに、という動きが強かったが、雪風があまりにも有名すぎる(しかもその当時、雪風そのものはというと中華民国の艦隊旗艦【丹陽】で、まだ現存していた!)為、この春風(はるかぜ)の名前を1番艦として採用し、ゆきかぜを先に進水させたのは非常に有名なエピソードである。
そして、このはるかぜ型護衛艦は春風の後継となった特型、そして初春型の後継である朝潮型と白露型のいいとこ取りであった為、はるかぜは妹達の、ゆきかぜは姉達の良いところを受け継いで平和になった日本の守りに従事したのである。
こうして見ると彼女はそれまでの駆逐艦と違い戦功による武勲には優れなかったが、総合的に見ると雪風と並ぶ立派な武勲艦なのである。
旧式でありながらも大切な輸送任務をこなし続けて、トラウマとする艦娘が多い潜水艦の襲撃さえ撃退し、玉音放送が流れるその日までたくさんの経験を経てなおも生き延びているのである。
そしてそれは、「必ずお迎えに行きますから」と約束し、日本へ帰ってきた姉と肩を並べて誇れるものだという事を忘れてはいけない。
木村昌福少将(キスカ島撤退戦時)は春風に座乗する事はなかった上、春風が木村少将の指揮下であった事もないが、輸送船団を何度も守り続けた春風乗組員は旧式であるが故にこの事を根強く意識していたのであろう。
これに付随するように、大井提督が戦後綴った【海上護衛戦】には「この手の艦種は大体艦隊決戦に使われてしまい、艦齢の高いものしか残ってなかった」とも。
関連タグをご覧になるのですね。春風がお持ちいたします。
2代目神風型(艦隊これくしょん) 2代目神風型(駆逐艦) 春風(駆逐艦)
名取(艦隊これくしょん)……第五水雷戦隊旗艦。戦時中は最初で最後の、戦闘部隊として上司となる軽巡洋艦でもあった。
雪風(艦隊これくしょん)……上記エピソードの関係がある為に、直接は関係がないものの非常に関わりの深い艦。