フルマー
ふるまー
フェアリー フルマー(Fairey Fulmar)とは
1937年1月に初飛行したイギリスで開発された単葉の複座艦上戦闘機で、名前の由来はフルマカモメから。
迎撃だけでなく、偵察や対地・対艦攻撃も可能な多用途運用を目指したが、運動性能や速度に難があり、空中戦で優位性を発揮することはできなかった。
ある意味、時代を先取りし過ぎたマルチロール機(多目的戦闘機)の元祖ともいえる存在。
特徴と戦歴
戦闘機ではなく爆撃機や雷撃機を主敵としており、機動力は妥協して重武装と航続力が重視されていた。(上昇力はともかく)艦上戦闘機のなかでは珍しいことに乙戦(重戦闘機/インターセプター)としての運用を想定してのことであった。
このことから、同機はドッグファイト(格闘戦)よりも一撃離脱の戦術に重きが置かれていたことが伺える。
また、最大の特徴として長距離の洋上飛行でのパイロットの負担を軽減するため、航法・通信士の乗る複座機とされた。イギリス海軍が複座戦闘機にこだわった理由は、目印も何も無い海上飛行においては航法担当が機体を適切に誘導することが空母に帰艦するのに必要であったと考えていたからと言われる。
(実際には日米の空母機動部隊に見る通り単座でも問題はなかった。)
これは、戦後にジェット戦闘機の時代が到来した折にミサイルやレーダー機器の充実に伴い機体の操縦だけでなく煩雑となってしまったそれらの操作のためにアメリカ海軍航空隊などは専門の後部搭乗員(レーダー迎撃士官/RIO))にそれを担わせたことを考えると、先見の明があったといえる。
当時まともな戦闘機を保有していなかったイギリス海軍の艦隊航空隊にとって緊急性の高い機体であったため、既に原型機の存在していた当機が採用され、早くも1938年半ばに最初の量産発注が行われた。量産機の初飛行は1940年1月で、同年7月から運用が始まった。
…が、ほどなく枢軸国軍との戦いで、機動力を妥協したフルマーはより軽快な機動を行える単座の陸上/艦上戦闘機を相手取るには実力不足であることが明らかになった。
その自重はおよそ3.2t。なんと天山艦攻と同等であり、これをMk.1ではわずか1,080馬力のマーリン8、Mk.2でも1,300馬力のマーリン30エンジンで動かしていたのだ。
こんなことでは一撃離脱戦術に不可欠な高速性など発揮できるはずもなく、
当然、純粋たる戦闘機と相対したときには中途半端なスペックが仇となりバタバタと撃墜される羽目になった。
地中海方面におけるイタリア空軍のCR.42複葉戦闘機には大いに健闘したようだが、日本海軍の零戦には歯が立たず壊滅的な被害を受けた。これは、地中海とはまったく逆であり、たとえ重武装重装甲であっても、加速性能の優位性がない場合、一撃離脱戦法は有効には働かないことを示しており、空戦における速度の重要性を読み取ることが出来る。
(フルマーより降下加速性能の高いP-40では、零戦に対しても一撃離脱戦法で何とか渡り合えることを証明している。)
余談だが、日本のパイロットはの多くはフルマーをスピットファイアと誤認したらしく、特に両者が鮮烈な戦闘を行ったセイロン沖海戦での日本側の戦闘記録にはフルマーは一切登場しない。
結局これらアジア・太平洋地域での戦闘は、鈍重な複座戦闘機は、軽快かつ高速たり得る単葉単座戦闘機の敵でないことを完全に露呈したのである。
1941年3月からは出力向上型のMk.2が配備され始めた。Mk.2は500ポンドまでの爆弾を搭載しての急降下爆撃も可能だった。 フルマーの基本的な主武装は7.7mm機銃8挺だが、Mk.2の最末期型では12.7mm機銃4挺に改められている。また、Mk.2には機上対空レーダーを搭載した夜間戦闘機型がある。
だが、結局はフルマーは1942年までには一線を退き、シーファイア(スピットファイアの艦上機vre)やシーハリケーンといった単座戦闘機にその座を譲っていった。
生産が終了したのは1943年であったという。
もっとも、フルマーの飛行特性は良好で空母でも運用しやすく、航続距離も良好だったため、その後も様々な任務に投入された…
低空侵入での対地攻撃や長距離偵察はもとより、
夜間の船団護衛(複座のためにレーダー管制がし易かった!)、CAMシップ(戦闘機を1機だけ搭載した武装商船)での運用やバラクーダ雷撃機の練習機など、その任務は多岐にわたった。
…て、ようは乙戦(インターセプター)任務を捨てて空戦も可能な軽爆撃機(戦闘爆撃機)として使ったってことかい!
後継機と後世での評価
イギリス海軍はこのタイプの機体に未練を感じていたらしく、フルマーに次いでその上位互換である艦戦フェアリー・ファイアフライを開発、投入している。
この機種もフルマーと同じく戦闘爆撃機として活躍したが、後世での評価は両者そろってイマイチ振るわない。
零戦やスピットファイアといった純粋に空戦能力を追求して開発され、実際に撃墜王<エース>を排出するなどして活躍した単座戦闘機と並べられると
(搭載エンジンが低出力のポンコツであるにも関わらず)高火力であると同時に軽爆撃機レベルのペイロードなどあれもこれも詰め込んだ挙句に高速化する他の戦闘機についていけないザンネンな子になってしまったフルマーはもう少しポイントを絞って開発したほうがよかったのでは?といった疑問符がつくのは否めない。
(現代日本人の感覚だと、艦上戦闘機といえば零戦やF6Fといったある種の洗練されたイメージが専行するので仕方ないかもしれないが…。)
仮装戦記の名著『翼に日の丸』(旧題:ラバウル烈風空戦録)の作者である川又千秋氏は、その著作のなかで
『当時、すでに空母搭載機の分野を著しく発達させていた我が国や米国のレベルから見ると、どうしようもない失敗作でしかなかった。』
『結局は、空母運用のなんたるか本質的に理解していなかった英海軍の蒙昧が生み出した機種であり、フルマーもファイアフライも、我が海軍を相手にしては、いかなる勇名も戦史に刻むことはできなかった。現在は、ただ、駄作機の代表として、航空機マニアの知識の片隅を埋めるに過ぎない。』
…と述べている。
ただ、当時のイギリス海軍のホームである大西洋・地中海方面での仮想敵が空母機動部隊を持たないドイツ海軍やイタリア海軍といった中小海軍であったことを(一応)考慮しなければならない。
当然そこでは、広大な太平洋地域で互いに積極的な策敵・攻撃を繰り返すことを想定した日・米の空母機動部隊のようなある意味での苛烈さは存在しないため、イギリス海軍としては艦隊決戦よりもシーレーン防衛にリソースを割きたがった。フルマーらイギリス製艦上機の一般に共通する多用途機としての志向はここに機縁する。
この戦略は一定の成果を収め、イギリスはドイツ海軍のUボートらによる通商破壊戦を跳ね除け、シーレーン途絶によって干上がることを避けることができた。
けれども、フルマーは兵器の評価をあげることに不可欠な「戦運」を掴むことができなかった。
エンジンの馬力不足に悩んだのは零戦も同じだが、同機は危険なレベルまで贅肉(防弾設備含む!)を削り空戦能力を追求したことで純粋な戦闘機として成功を収めた。
また、同じイギリス海軍でもロートル極まりない立ち位置であった複葉の艦攻ソードフィッシュはビスマルク追撃戦やタラント空襲などの戦運に恵まれたことで兵器としての評価をあげることができた。
後世、ジェット戦闘機の時代が到来した折にフルマーと同じコンセプトのマルチロール機が各国のスタンダードとなっていった(高出力のジェットエンジンにモノをいわせて色々と無茶なことを卒なくこなせるようになった…)ことを考えれば、
求められたドクトリンと現実での戦闘がかみ合わなかったことが、フルマーにとって最大の悲劇なのかもしれない…。
スペック (Mk.I)
諸元
乗員: 2名
全長: 12.24 m (40.16 ft)
全高: 4.27 m (14 ft)
空虚重量: 3,955kg (8720lb)
最大離陸重量: 4,853 kg (10,700 lb)
性能
最大速度: 398 km/h (215kt) 247 m/h
航続距離: 1,255 km (677.6 海里) 780mi
実用上昇限度: 6,560m (21520 ft)
上昇率: 366 m/min
翼面荷重: kg/m2 (lb/ft2)
武装
固定武装: 7.7mm機銃8挺
機体によっては後部座席に7.7mm機銃1挺の計9挺
爆弾: 250lb(113kg)爆弾2発
余談
フルマーとは直接の関係はないが、以下はスカイ・クロラシリーズの登場人物である戦闘機パイロット、草薙水素のセリフである。
『空母の発着には、プッシャの散香と、双発の中型機を使った。散香の場合は何の苦もない。しかし、双発のほうは(中略)コクピットの中にもう一人乗り込んで、そいつが横であれこれ指示をする。これが僕には、一番苦痛だった。空に上がったときに、人間がすぐ近くにいることに慣れていなかったせいかもしれない。空という場所は、一人でいられるところだと思い込んでいた。(中略)それは、ベッドという場所が、いつも自分一人の場所だと信じているのに似ている。(中略)そんなふうにして、いろいろな場所が、どんどん濁っていくのだな、と思った。』
<ナ・バ・テア>文庫版P258~259より一部抜粋
…、恐らく、単座機以外の飛行機における『人格』を全否定しているコトバである。
複座以上の機体、特にフルマーを含めた艦上複座戦闘機らの名誉のために付け加えていうなら、素人目にはなんとなく重石にしか感じられない後部搭乗員も一応は(理論上は)必要だから搭乗しているのだ。
具体例を上げれば、アメリカ海軍のジェット戦闘機F-4とF-14はレーダーとミサイルは高性能だったが、その反面、操作が複雑たった。そのため、パイロットだけではその操作が不可能で、後席に専門の担当者を必要とし、レーダー、ミサイル、さらには、機体操縦の補助を行いっていたことは有名である。
…といいつつも、やっぱり戦闘機のイメージは孤高かつ天上天下唯我独尊タイプの「城」である単座機なのだなぁと思うと同時に、単座戦闘機全盛の第二次世界大戦期に時代を先取りするかのように制作されたイギリス艦上複座艦上群の特異性が改めて感じられる次第である。