砂糖
さとう
概要
甘味のある植物(サトウキビ、ビート、サトウカエデ、サトウヤシなど)を絞って得られた液を精製して作る調味料。
お菓子の原料に用いられるほか、料理の隠し味や紅茶やコーヒーに入れる甘味料として用いられる事が多い。
かつては熱帯で栽培されるサトウキビからしか生産できない貴重品で、砂糖をふんだんに使った甘味は贅沢品であった。古代、中世の西洋では主に甘味料として蜂蜜が用いられた。この事情は日本でも同じで、現在の日本料理や和菓子では砂糖が多用されるが、江戸時代以前には水飴が同様の用途に用いられていた。19世紀の産業革命以降、近代技術により寒冷地で栽培されるビート(甜菜、サトウダイコン)からの精糖技術が確立し、現在は甜菜も主要な砂糖原料となっている。
歴史
サトウキビからの砂糖製造は古代インドやペルシャで始まった。本格的な砂糖の輸出入は、10世紀末から十字軍遠征時代になって確立され、大航海時代になって中南米進出後の侵略で得た土地に、大量生産する事で製糖産業を確立させた。
19世紀、ヨーロッパではナポレオン戦争時の海上封鎖で、サトウキビの代用作物としてビート(甜菜、サトウダイコン)が注目を集め、砂糖の自給を目的とし、ヨーロッパ各地に甜菜糖業が広まった。しかし、ビートからの砂糖生産は技術的に困難が多く産業的に確立したのは1850年ごろになってからと言われている。
日本では鑑真上人によって伝来して以降、薬品として珍重されたが中世までは国外からの輸入品しかなく、稀少価値の高さから高級菓子の原料にもっぱら用いられていた。
江戸時代には奄美群島や沖縄にサトウキビ栽培が根付く。南西諸島で生産されたのは主に黒砂糖であったが、江戸時代中期に四国などで和三盆糖の生産が始まり、高級砂糖として珍重される。
明治時代になって台湾を併合した際、サトウキビ産業を主力として根づかせ、日本に安定した砂糖の供給が可能となった。これに先立ち北海道でも甜菜(テンサイ)糖の生産が試みられたがサトウダイコンの安定した栽培に失敗し、軌道に乗ったのは大正に入ってからである。戦後、台湾を失った日本は北海道での甜菜糖の生産に注力するようになり、現在は南西諸島でのサトウキビ糖より北海道の甜菜糖の方が生産が多い。
変わった表現
甘さの代名詞とも言えるため、雰囲気的に、もしくはシチュエーションで甘い展開が来ることに対して「砂糖を吐くほど甘い」とも言うことがある。
関連動画
砂糖ができるまで