概要
読んで字のごとく、山に登ること。
古くは信仰、現在ではレジャー目的やスポーツとして行われる行為や競技を主に指す。
高度成長期以降、登山道や山小屋、ケーブルカーやロープウェイ、山頂近くへ向かったり深山の登山口へつなぐ車道などが整備・再整備された山も多く、登山を趣味として楽しむ人も多い。
ただし天候の急変や低温、転倒や転落等のリスクがあるため、事前の適切な準備を忘れてはならない。
日本における登山
山国である日本は国土の75%が山地である。そこで太古の人々は、自然と山に登って生活の糧を得るようになった。山で獣や鳥を狩り、木の実や山菜を採取して食料としてきたのである。また、樹木は狩猟の道具や住居をつくるための材料、燃料などになっていった。
山は人々に恵みをあたえる反面、噴火や山火事など災いももたらした。人々は山には神が宿ると考え、敬い、恐れ、祈りの対象とした。そのため日本における登山は、生活の糧を得る目的のほかに、信仰登山の形をとって行われていた。
山に対する信仰の始まりは、水に対する信仰とともに原始時代以前からと考えられている。その信仰の伝統は、やがて山で修行を行う仏教系統の山岳修験道の形をとるようになっていく。
奈良時代におこった山岳宗教は平安時代になるとさらに盛んになり、古来の山岳信仰と山岳仏教とが合体し、日本独自の修験道がしだいに発達を遂げていった。
戦国時代の動乱期には合戦の戦略上の必要から山に城が設けられ、峠路は主要な交通路となり山岳における知識が要求された。多くの大名が国境警備のために家臣や領民を山へ登らせ地形を調査した。
江戸時代になると中世までの信仰登山が一般の大衆の間にさらに広まった。
地方分権の統一国家として社会の安定化、経済発展、交通網が発達し、旅行が広く一般化するにしたがい民間信仰の特別な風習として各地の名山で集団登山が行われるようになったのである。
これが講社とよばれるもので、富士山の登拝を目的とする「富士講」をはじめ、大山、月山、御嶽山、立山などの登山をする「大山講」、「月山講」、「御嶽講」などが盛んになった。その参詣者の数は非常なもので、当時の一般大衆の生活のなかに根強く入っていった。
明治時代になると、外国人の学識者や財界人らが各地の山々を登り、近代西洋方式の測量が行うようになった。地質、火山、気象、動植物などの研究目的の登山も始まり、自然科学のための登山が発達する。
その後指導者として来日したドイツ人たちからワンダーフォーゲルの概念やスキーなどのウインタースポーツが伝わり、日本の青少年教育やスポーツとしての登山熱は高まりを見せる。剱岳をはじめ、[[[槍ヶ岳]]と穂高岳間の縦走、赤石山脈横断などの大記録が作られ、大正時代初期までには日本アルプスの主要な峰々がほとんど踏破されるに至った。
また現在の日本の登山用語にドイツ語が多いのもこの影響によるものである。
そして第二次世界大戦が終わって社会の安定化や経済発展、インフラがめざましく発達し、生活における物資が充実化するとレジャーとしての登山が一大ブームとなる。老若男女幅広い層の人々が低山から高山まで足を運ぶようになり、それが現在まで続く。
スラングとしての『登山』
超ボリュームに定評のある、喫茶マウンテンのメニューを食すること。それらを完食することは「登頂」と呼ぶ。
こちらも入念な体調管理と覚悟を持って臨まなければ「遭難(完食できずリタイア)」の危険がある。
タライいっぱいに盛られた雪山(かき氷)にも注意されたし。
別名・表記揺れ
関連項目
外部リンク
- 登山の歴史と文学 (日本スポーツ振興センター)