阪急電鉄2000・2021・2100系
1960年に登場した阪急電鉄の通勤形電車。主に神戸線・宝塚線で運用されていた。1961年に鉄道友の会より第1回ローレル賞を2300系とともに受賞している。
車体はナニワ工機(現、アルナ車両)が手がけた鋼製の準張殻構造(セミモノコック)を採り入れている。前面は前照灯が上部に埋め込まれて、尾灯・種別灯が上部左右に配されている。看板は窓の下部の左右に取り付ける方式となっている。側面は両開き扉を阪急電鉄で初めて採用し、3箇所配されているほか、側窓は扉間に3枚、先頭部に1枚、車端部に2枚配されている。また、回生制動と定速運転制御を装備したことから、人工頭脳電車とも称され「オートカー」の愛称がつけられた。
形式別
2000系
基本形態。主に神戸線で運用。
1989年から廃車が始まり、1991年の阪急甲陽線での営業を最後に2000系が「編成としての」営業運転を終了した。この時点では他系列に組み込まれた中間付随車を残すのみとなったが、その後の老朽化などで2013年までに形式消滅となっている。
2021系(⇒2071系)
神戸線および宝塚線で架線電圧昇圧決定に伴う複電圧対応型として製造された。制御器の構造が複雑で、かつ列車の長編成化が進んだため、1970年代に電装解除が行われて全車両が付随車の「2071系」となり、2000系・3000系・3100系・5000系の増結用中間車として転用された。
その後、5000系のリニューアル工事で編成を外されたり、老朽化などで2014年までに形式消滅となっている。
2100系
宝塚線仕様。低速域を強化するため歯車比を大きくし、主電動機出力を抑えていた。
30両が製造されたが、2000系への編入改造や廃車などで1985年に形式消滅。
能勢電鉄1500・1700系
7000系・8000系の導入に伴い、余剰となった車両が能勢電鉄へと譲渡された。2100系を種車とした車両が1500系を、2000系を種車とした車両が1700系を名乗ることになった。
1500系は譲渡した当時、冷房装置が付いていなかったのと、能勢電鉄が架線電圧600Vであったことから、冷房装置の取り付けと降圧化工事が施工された。1700系は譲渡した当時より冷房装置が付いている。
1500系は2015年より5100系を能勢電鉄に導入したことにより置き換えられ、2016年6月22日に1560編成を最後に運転を終了し、引退した。
1700系はワンマン化改造されなかった1編成のみ2005年に廃車になった後も使い続けられたが、2017年より本格的に廃車が始まり、2020年現在4編成が残る。
このうち1704編成に組み込まれている1734号車は元はトップナンバーの2000号車であり、1984年の阪急六甲駅での山陽電鉄車両との衝突事故時の編成に入ってた車両でもある。2020年には誕生から60周年を迎えた。
余談
阪急では本形式の他に2000台の形式を持つ車両として2200系、2300系、2800系が存在していた。何れも回生ブレーキを装備した車両である。
2200系については後に編成をばらされ、付随車改造の上で他形式(阪急6000系及び阪急7000系)へ組込まれた経緯も2000系と共通している。
6000系付随車の余剰廃車発生の際には2200系から改形式された車両が優先的に廃車される傾向である。
2300系は2000系と同年登場だが最初から1500V専用車。神戸線の昇圧後は一時的に神戸線へ転属し、山陽電鉄須磨浦公園駅まで足を伸ばした事がある。これは京都線用車両としては唯一の事例である。
2015年の引退まで回生ブレーキ装備を維持し、最後まで単独編成を維持した形式でもある。
電車でD
「頭文字D」の二次創作・同人ゲーム作品「電車でD」では、主人公・藤原拓海の「愛車」として阪急2000系が登場する(彼は同作品内では阪急電鉄の運転士という設定)。作品内では「競技」の行先表示板を堂々と掲げ、そして彼は見事な複線ドリフトを披露している。