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編集者:yamatotomcats
編集内容:アペラシオンの部分を改稿

概要

CV:河上明日香

アニメウマ娘プリティーダービー season2」に登場する架空のキャラクター。モチーフとなった競走馬は「カミノクレッセ」と思われる。

名前は実況で呼ばれているものの、エンディングのキャスト表記では「ウマ娘A」。正式な表記は長らく不明で、しばらく「カミヤクラシオン」などと空耳されていたが、その後発売されたBlu-ray「ウマ箱2」付属の小冊子でようやく正確なものが確認された。

名前はモチーフ馬の「クレッセ」から、

フランスの「クレッセ村」→名産が白ワイン→フランスのワインの原産地呼称制度「アペラシオン」という連想と思われる。

ちなみにクレッセと近隣のヴィレ、モンベレ、レゼの4つの村で生産される白ワインのアペラシオンは「ヴィレ・クレッセ」という。

アニメでの活躍

第3話「出会い」のGⅡ「阪神大賞典」で初登場。5番ゼッケンをつけて出走し、道中はメジロマックイーンをマークして食らいついていくが、マックイーンのロングスパートで突き放されて「無理~」となり、2着に終わった。なお、彼女に台詞があるのはこの第3話のみ。

第5話「TM対決」では緑色の勝負服を纏い、GⅠ「天皇賞(春)」に出走。最後の直線で力強く追い込み、トウカイテイオーを交わしてマックイーンに次ぐ2着でゴール。

第6話「なんのために」ではGⅠ「宝塚記念」に出走、ダイタクヘリオスを交わして追い込むものの、メジロパーマーに逃げ切られて2着に終わっている。

1987年5月30日生まれ

馬主は野上正次。栗東工藤嘉見厩舎。

アンバーシャダイ(父父ノーザンテースト) 母ショウワロマン(母父コインシルバー)。

馬名は馬主の姓に由来する冠名「カミノ」と音楽記号「クレッシェンド」から。

最初はダートでコツコツと

メジロライアンメジロマックイーンらの同期だが脚元が弱く、デビューは3歳の1990年2月。初戦は芝を走ったものの、その後は脚への負担を考慮してダートを走り、4戦目で初勝利。その後もダートをメインに走って5歳2月にオープン入りし、続く3月の芝のGⅢ「中日新聞杯」で重賞初挑戦、4着に終わる。

その後降級するも、南井克巳騎手とコンビを組み始めた同年6月のダートオープン「エルムステークス」で勝利し、ここから本格化の兆しを見せ始める。次走のGⅢ「札幌記念」でメジロパーマーの2着と好走し、続けてダートオープンを連勝すると、交流競争「ブリーダーズゴールドカップ」で2着に大差をつける圧勝で重賞初制覇。

芝レース転向

勢いに乗って、陣営はクレッセを初のGⅠ挑戦となる「天皇賞(秋)」へと出走させる。しかしスタート直後、メジロマックイーンの斜行によるトラブルに巻き込まれて脚を故障。レース自体は3着(入線は4着、マックイーン降着で繰り上がり)に入ったが、元々持っていた脚部不安が悪化し、予定していたジャパンカップ有馬記念への出走を回避して休養に入った。

6歳になった92年、復帰戦のGⅡ「日経新春杯」で芝重賞初制覇。ここからGⅡ「阪神大賞典」(芝3000m)をステップに春の全古馬GⅠ「天皇賞(春)」(芝3200m)、「安田記念」(芝1600m)、「宝塚記念」(芝2200m)に立て続けに出走するが、阪神大賞典と天皇賞はメジロマックイーン、安田記念はヤマニンゼファー、宝塚記念はメジロパーマーと、4戦連続で2着という結果に終わった。“春古馬GⅠ皆勤で全て2着”という記録はグレード制導入後唯一無二であり、クレッセは「シルバーコレクター」と呼ばれるようになる。

その後は脚が思うようにならず長期休養。93年1月から始動したものの脚は悪化する一方で、11月のGⅡ「アルゼンチン共和国杯」を最後に現役を引退した。

芝とダート、マイルから長距離まで幅広い適性を持ち、脚が完全な状態であればGⅠをとれただろうし、メジロマックイーンとも互角に戦えただろうとも評価される。それだけに不運な事故以降、持てる力を発揮出来なくなってしまったことが悔やまれる。

生涯成績:31戦9勝 2着7回 3着4回

生涯獲得賞金:3億9286万円

引退後は種牡馬となったものの、産駒は1勝馬が1頭のみと走らず、1999年に種牡馬引退。故郷の昭和牧場(北海道浦河町)で功労馬として繋養され、2014年7月8日に老衰で天国へと旅立った。27歳だった。

関連タグ

ウマ娘プリティーダービー

メジロマックイーン(ウマ娘) 色々と因縁の深い相手

メジロパーマー(ウマ娘) 実は2回敗れている

ヤマニンゼファー 安田記念で・・・

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