本名:トーマス・アルヴァ・エディソン(Thomas Alva Edison)
生涯におよそ1,300もの発明を行ったアメリカ合衆国の発明家であり、起業家。
その発明の数から「発明王」「メンロパークの魔術師」「映画の父」など様々な異名がある。
経歴
伝記などでよく知られているとおり、成績が悪すぎて(実際は先生の揚げ足を取りすぎて)小学校を中退しており、勉強は元教師であった母親に教わっていた。14歳のころに汽車の中で自作の新聞を売りながら研究に没頭。電信士をしていた17歳のころに「居眠りしている事を誤魔化す」目的で「全自動電信送信機」なる手の込んだ手抜きというべき機械を発明。これが人生初の発明品となる。…が、最終的には居眠りがバレてクビになった(定期的に電信を発信するだけで、送受信する機能はなかったので、会社が採用する価値は無かった)。
22歳の時、株式相場表示機の特許で4万ドル(今で言えば2億円くらい)の大金を得て、本格的に発明家としての道をあゆみ始める。1877年、蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得。ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、各国から技術者・研究者を迎えて様々な発明群を世に送り出した。この「研究所」というシステムこそ、エジソン最大の発明とする見方もある。
1878年に改良された白熱電球を発明し、同時に世界初の電力会社としてエジソン電気照明会社を設立。同社は直流110Vの電気を供給する送電システムを採用したが、電力供給が広域化するにしたがって変圧の難しい直流の不利が目立つようになり、ジョージ・ウェスティングハウスの交流送電システムに敗北した(電流戦争)。
1887年にニュージャージー州のウェストオレンジ研究所に移る。ここでは動画撮影機キネトグラフを発明し、同研究所敷地内に世界初の映画スタジオを設けて映画産業の立ち上げにも関わった。
「ドロップアウトから独自の努力で返り咲いた」という、非常に日本人受けする来歴から、子供向けの伝記等でもよく知られている人物である。
業績
天才的な発明家として知られるが、そのほとんどは既存の技術の改良である。『電球の発明者』とされることもあるが、エジソンの功績は“電球の性能の安定化と商品化”であり、電球そのもの(最初に作って特許を取得したのはイギリスのジョセフ・スワンと言う人物)はエジソン以前に既に存在していたのがその例の一つである。ちなみにエジソンとスワンは名前が似ていたので、後に二人でエジスワンなる会社を建てた。実に抜かりない。
エジソンの本当の顔は不屈の実業家であり、その一番の才能は革新的商品によって、今まで存在しなかった市場を作り出す能力であると言えるだろう。アメリカの食事を“一日三食”に定着させた立役者ともいわれ、その理由が「自分の作ったトースターを売り出したかった」からであり、そのために「私の頭脳は朝昼晩の規則正しい三回の食事に支えられている」とマスコミに発表したという逸話がある。
「映画の父」と言われるが、エジソン自身は自分の開発した「キネマスコープ」(筺体内を覗いて視聴する個人用の映写機)を愛し、のちに映写機による劇場型映画が登場した際には散々にこきおろしている。しかし結果はキネマスコープが廃れ、映写機が普及していった。またハリウッド(アメリカ西部)が「映画の都」と呼ばれるようになったのも、エジソンと対立した映画関係者がニューヨーク(アメリカ東部)在住のエジソンから逃げてきた地だからである。
彼個人の成功例として蓄音器があるが、これは「自分の声を自分で録っていつでも聞けるから」という、常人からするとナルシズムとも取れる理由で発明したもの。
ライバルと因縁
エジソンのライバルとして有名なのがジョージ・ウェスティングハウスである。ウェスティングハウスは交流による送電インフラを作り上げた人物で、エジソンのもとで働いていたニコラ・テスラを雇い入れて交流モーターを完成させ、エジソンを退けて主導権を握る事に成功した。
アメリカで死刑に使われている電気椅子はエジソンが発明したものであるが、エジソンは自らの推す直流による送電システムを普及させるため、「交流は危険」というイメージを流布しようと、交流を使った処刑道具を発明し、採用させたのである。
この規格争いは電流戦争と呼ばれる。詳しい内容はウィキペディアを参照。
争いの結果「変圧が容易である」という交流の利点が認められ、エジソンが負けたのはニコラ・テスラの記事にある通りだが、現在では、直流による変圧・整流技術も発展してきており、交流送電よりも低損失であるということから長距離送電に用いられることが増えてきている。他にも同時期に電気自動車を普及させようとしていたのもエジソンであった。
つまり、直流送電も電気自動車も、当時は技術が追い付いていなかった早過ぎた発明だったのである。
格言
「天才とはと1%の閃きと99%の努力である」の彼の有名な格言があるが、エジソンの熱心なファンである浜田和幸議員によると「1%の閃きが無ければ99%の努力をしても無駄である」が正解だという。
だが、エジソンは生前における多くのインタビューにおいて、努力こそが閃きに必要なものであり、努力が最も重要であるという趣旨の発言をしており、この発言自体は彼の死後の1932年に発表されたもので、全く同じ発言をしたかは定かではない。
現に発明王と呼ばれる彼だが、その発明品の完成のために数え切れないほどの失敗を繰り返しており、これらから“どんな天才でも1%の閃きを得られなければ求めた結果には到達できない”、というエジソンの閃きへのこだわりと、“1%の閃きのためなら99%の努力も惜しくはない”という彼の発明への飽くなき情熱を読み取ることができる。
他にも有名な格言に「何かが君の考えたとおりに運ばなかったからといって、それが役立たずだという意味にはならない」などがある。
しかし、それなら何故意見が衝突した程度でテスラをクビにしたのだろうか…
エジソンの関連人物
生前
岡部芳郎:日本人の電気技師でエジソンの助手。誠実な人柄から彼に強く信頼され、それ故にエジソンは親日家だった。
ニコラ・テスラ:かつてエジソンの会社で働いていた電気工学者。前述の電流戦争で袂を別かっている。
ジョン・フレミング:エジソンの会社の元社員。フレミング左手の法則を発見し、真空管を発明した。
グラハム・ベル:同時期の著名な発明家。電話の発明者として知られ、エジソンと電話の特許権をめぐって訴訟を展開。エジソンはベルが電話機の発明者とされるのは最後まで納得がいかなかったという。
ヘンリー・フォード:エジソンの経営する会社の元社員。エジソンはフォードの自動車への夢を激励し試作車に助言を与えた。フォード社創業後も生涯に渡り親交を続けた。
没後
スティーブ・ジョブズ:米Apple設立者のひとり。パソコン、DTP、音楽のデジタル配信、スマートフォン市場をそれぞれ立ち上げた人物であり、「不屈の実業家」「革新的製品による新しい市場の創造」という業績からエジソンとよく比較される。
関連タグ
恋するエジソン:週刊少年ジャンプで連載されていた漫画作品。作者は渡邉築。
外部リンク
アニヲタWiki(仮) - 実は言ってない台詞 - 「▼言ったことは言ったが、意味が違う系」を参照