青葉賞
あおばしょう
概要・沿革
正式名称は「テレビ東京杯青葉賞」。
ゴールデンウィーク中の土曜日に行われるため、開催時期は毎年4月末~5月初旬。
1984年に4歳(現3歳)限定のオープン競走として創設。当初から東京優駿(日本ダービー)のトライアル競走として設置されており、ダービー本番と同じ東京競馬場の芝2400mで行われる。
2着以内(創設当初は3着以内)に入った馬に日本ダービーへの優先出走権が与えられる。
当然、ダービー本番と同様牝馬にも門戸は開かれているが、現在まで牝馬が青葉賞を制したことはない。
1994年にGⅢに格上げされて重賞となったため、重賞としての施行回数はこの年が「第1回」となっている。
1984年:創設。東京競馬場・芝2400mの4歳馬(現3歳)限定オープン競走。3着以内に日本ダービー優先出走権付与。
1994年(第1回):GⅢに昇格。
2001年(第8回):GⅡに昇格。外国産馬の出走を解禁。
2010年(第17回):日本ダービーへの優先出走権を2着までに変更。
ジンクス
当初から日本ダービーへのトライアルとして創設され、本番と同じ条件で行われる競走だが、現在まで青葉賞を勝って日本ダービーを制覇した馬はいないという、縁起のよくないジンクスがある。
平成以降の日本ダービー馬は、皐月賞から直行して勝った馬が圧倒的な割合であり、次いでNHKマイルカップから(タニノギムレット・キングカメハメハ・ディープスカイなど)、京都新聞杯から(アグネスフライト・キズナ・ロジャーバローズなど)のルートが多い。
青葉賞馬がダービー本戦を勝てていない理由は様々言われるが、ひとつはダービーの有力馬は皐月賞までに何らかの重賞を勝ち、ダービー出走枠確保に十分な収得賞金を既に積んでいる(わざわざトライアルに出る必要がない)ことが多いという理由が挙げられる。
また、青葉賞 ⇒ 日本ダービーの出走スケジュールを組む場合、栗東トレーニングセンター(滋賀県)所属の馬は1か月で東京へと2往復の輸送を行うことになり、この疲労やストレスは無視できない。2400mという、3歳馬にはスタミナ的に負担の大きいレースを中3週で続けることになる体力的な問題も一因ではと言われる。
これまでに青葉賞を制覇して日本ダービーに挑み、2着に入った馬はオープン競走時代を含めると7頭いる。(太字はGⅠ馬)
馬名 | 年 | 青葉賞以外の主な勝鞍 | ダービーの勝ち馬 |
---|---|---|---|
レオダーバン | 1991年 | 菊花賞 | トウカイテイオー(無敗の二冠馬) |
エアダブリン | 1994年 | ステイヤーズS・ダイヤモンドS(GⅢ) | ナリタブライアン(三冠馬) |
シンボリクリスエス | 2002年 | 天皇賞(秋)連覇・有馬記念連覇など | タニノギムレット |
ゼンノロブロイ | 2003年 | 天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念など | ネオユニヴァース |
アドマイヤメイン | 2006年 | 毎日杯(GⅡ) | メイショウサムソン |
ウインバリアシオン | 2011年 | 日経賞(GⅡ) | オルフェーヴル(三冠馬) |
フェノーメノ | 2012年 | 天皇賞(春)連覇など | ディープブリランテ |
以上の通り、2002・2003年連続年度代表馬のシンボリクリスエス、2004年の年度代表馬ゼンノロブロイ、オルフェーヴル被害者の会筆頭ウインバリアシオン、春天連覇のフェノーメノなどが出ている。
ダービーにこそ届いていないものの、決して「青葉賞勝ち馬は大成しない」とは限らない。むしろ敗北した相手も三冠馬相手を初めとした顕彰馬だったり、直後に怪我引退するほどダービーで激走してたりと、相手が悪すぎる一面もある。
果たして、今後ジンクスを打ち破り日本ダービーの戴冠を達成する青葉賞馬は現れるだろうか。
余談だが、日本ダービーのトライアル競走としてはもう一つ、青葉賞の次週に開催されるプリンシパルステークス(L・東京芝2000m)があり、こちらの勝ち馬にはダンスインザダーク・サイレンススズカ・ルーラーシップなどがいるが、やはりこちらからもダービー馬は出ていない。