“奇跡”は、ロングスパートから。
- ヒーロー列伝 No.56より
奇跡ではなく
強欲な人々は
あり得ないことだと
顔をしかめるだろう。
だが幸運を生かせずに
消えていくものが多い中で
君は確かにやり遂げた。
さあ、ここからの仕事は
彼らを黙らせることだ。
君が見せたその輝きを
奇跡とは呼ばせるな。
- 名馬の肖像 2019年菊花賞より
概要
1999年3月31日生まれの日本の競走馬。JRAで活躍した。
父サッカーボーイ、母シュンサクヨシコ。通算28戦6勝。佐山優厩舎。
デビュー前はセリ市で680万円で購入された安い馬で、獲得賞金は5億1,498万円。
重賞勝利はGⅠのみ、しかも間に惨敗を挟んだこともあり、勝ったレースではいずれも穴馬扱いからその名の通りミラクルを起こした。
同期の有力馬シンボリクリスエスには1勝(1敗)だった。
略歴
2001年8月11日、小倉競馬場の新馬戦でデビューし7着。
2002年5月26日の東京優駿当日、中京競馬場の未勝利戦で1着。10戦目でやっと初勝利を挙げた。
その後は菊花賞出走を目標に条件戦に出走するも、優先出走権を得られず、賞金の面でも厳しかったが、抽選を潜り抜けて何とか出走にこぎ着けた。
10月20日、第63回菊花賞はスタート直後に1番人気のノーリーズンが落馬で競走中止。ヒシミラクルが10番人気からレースを制しGⅠ馬となる。後方から一気の追い込みでヒシミラクルにハナ差まで迫ったファストタテヤマは16番人気であり、馬連配当9万6070円、三連複配当34万4630円という波乱の結末となった。
世間からはヒシミラクルの勝利はフロック扱いで、その後も惨敗が続いた。
2003年3月23日、春の天皇賞前哨戦の阪神大賞典で惨敗し、人気を落とす。
しかし5月4日、本番の天皇賞(春)ではズブさを発揮しながらも、7番人気から優勝。
6月29日、GⅠ馬が6頭揃い史上最高メンバーと言われた宝塚記念に出走。直線で「来る!来る!ヒシミラクル!」(KBS京都梶原誠アナの中継)とシンボリクリスエス、タップダンスシチーやネオユニヴァースを完封、ツルマルボーイを押し切り勝利。
6番人気で三たび大番狂わせをやってのけた。
10月12日、京都大賞典で2着に入るがレース後に右前繋靭帯炎が発症。療養生活を送る。
2004年10月31日、1年以上の休養明けに天皇賞(秋)に出走するも16着。
5月1日、天皇賞(春)で16着。直後に繋靭帯炎が再発し、5月20日付でJRAの競走馬登録を抹消された。
2006年からレックススタッドで種牡馬になったが種付頭数は少なく活躍馬は出せず、2010年秋から中村雅明牧場で功労馬として余生を過ごしている。
ミラクルおじさん
2003年の宝塚記念において、ヒシミラクルは最終的に6番人気だった。
だが前日土曜日の段階では、いきなりヒシミラクルのオッズが大変動し1番人気になっていた。
原因は、この日新橋の馬券売り場に現れたひとりの中年男性にあるという。
この男性は、まず直前の安田記念を勝ったアグネスデジタルの単勝馬券130万円分×9.4倍の配当金1222万円の払い戻しを受け取った。デジタルはその時点でGⅠ5勝の実績馬ではあったが、1年以上の休養明け最初のGⅠレースであり、何よりそれに単勝1点で130万円を突っ込む時点でも大した馬券師である。
(ちなみにその130万円の元手についてはNHKマイルカップのウインクリューガーと日本ダービーのネオユニヴァース説があるが、後者の方が優勢。)
しかし、その男性は何と受け取った1222万円を即座にヒシミラクルの単勝馬券に全て注ぎ込んだのだ。これによって一時的にヒシミラクルのオッズが急激に下がったのである。
最終的には単勝16.3倍に落ち着いたものの、見事にそのヒシミラクル単勝1点の大勝負を当てた男性はおよそ2億円を手にする事になったのである。
これは宝塚記念の1着賞金1億3000万円を上回る金額であり、ヒシミラクルを優勝に導いた角田晃一騎手もこの話を聞かされ「僕よりよほどの勝負師ですね」と驚きのコメントを寄せている。
この男性は「ミラクルおじさん」「2億円おじさん」と呼ばれ話題を呼んだが、いったい何者なのか、2億円はきちんと受け取ったのか……などは不明のままである。