概要
1993年10月28日、ドーハで行われたFIFAワールドカップ予選で日本代表が勝利なら出場が決まるという局面でイラクに終了間際に同点に追いつかれ韓国との得失点差で同大会の出場権を逃すこととなった。
また、対戦相手であったイラクもハーフタイム中に、フセイン大統領の息子がアポなしで現れ、「日本に負けたら全員鞭打ちとタコ部屋労働の刑にする」と脅されていたことが後に判明した。(スポーツ選手に対する人権侵害案件であることは言うまでもない。)
その後
20年経った2013年6月11日、2014年W杯ブラジル大会出場をかけたアジア地区最終予選で日本とイラクはドーハで戦った。この時W杯出場を決めていた日本に対してイラクは最下位に落ちており、勝たなければ出場できない状況であった。だが、イラクは後半44分で日本に一点入れられ敗退、出場権を逃した。よって、この試合はイラクにとって「ドーハの悲劇」となった。
日本代表登録メンバー
※選手名は
背番号 | 選手名 | 所属チーム名(在籍当時) | 備考(2022年現在の所属など) |
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ゴールキーパー
ディフェンダー
2 | 大嶽直人 | 横浜フリューゲルス | 現:鹿児島ユナイテッドFC監督 |
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3 | 勝矢寿延 | 横浜マリノス | 現:セレッソ大阪サッカースクール スクールマスター |
4 | 堀池巧 | 清水エスパルス | 現:順天堂大学スポーツ健康科学部准教授および蹴球部監督 |
5(キャプテン) | 柱谷哲二 | ヴェルディ川崎 | |
6 | 都並敏史 | ヴェルディ川崎 | 現:ブリオベッカ浦安監督 |
7 | 井原正巳 | 横浜マリノス | 現:柏レイソルヘッドコーチ |
21 | 三浦泰年 | 清水エスパルス | 三浦知良の実兄。現:鈴鹿ポイントゲッターズ代表取締役GM・監督 |
22 | 大野俊三 | 鹿島アントラーズ |
ミッドフィルダー
8 | 福田正博 | 浦和レッズ | 現:サッカー解説者 |
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10 | ラモス瑠偉 | ヴェルディ川崎 | 現:東京ヴェルディのチームダイレクター |
14 | 北澤豪 | ヴェルディ川崎 | 現:タレント、日本サッカー協会理事、日本障がい者サッカー連盟会長 |
15 | 吉田光範 | ジュビロ磐田 | 現:FC刈谷のテクニカルディレクター |
17 | 森保一 | サンフレッチェ広島 | 現:日本代表監督 |
18 | 澤登正朗 | 清水エスパルス | 現:清水エスパルスユースの監督 |
フォワード
9 | 武田修宏 | ヴェルディ川崎 | 現:タレント |
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11 | 三浦知良 | ヴェルディ川崎 | 現役、現:横浜FC⇒鈴鹿ポイントゲッターズ |
12 | 長谷川健太 | 清水エスパルス | 現:FC東京監督 |
13 | 黒崎比差支 | 鹿島アントラーズ | 本名:黒崎久志、現:中国超級リーグ・山東泰山ヘッドコーチ |
16 | 中山雅史 | ジュビロ磐田 | 現:アスルクラロ沼津監督 |
20 | 高木琢也 | サンフレッチェ広島 | |
監督 | ハンス・オフト | ||
コーチ | 清雲栄純 | ||
GKコーチ | ディド・ハーフナー |
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時は流れ、28年後…
2022年11月23日。
FIFAワールドカップカタール大会グループE、日本対ドイツ戦。
グループステージ初戦となる試合の舞台となったのは、カタールであった。
そして何の因果か、日本代表を率いるのはドーハの悲劇出場メンバーであった、森保一。
日本にとっては勝利は難しくとも引き分け、最悪でも惨敗だけは避けたい優勝回数4回を誇るドイツとの試合は、前半効果的にパスを散らしスペースを作り出すドイツに翻弄され、エリア内に侵入を許しPKを献上。
このPKをキッチリ決められ、無失点でのドローは無くなり追いかける展開となって迎えた後半。
何と守備を一人下げ、攻撃に6人を充てる超攻撃的布陣へとシフト。
するとこの采配が当たり、後半30分にドイツゴール前の混戦から流れてきたボールを堂安律が押し込み、同点。
さらにその8分後。日本ゴール付近でのドイツのファウルから得たFKで蹴りこまれたロングボールを浅野琢磨が巧妙にトラップし、マークについていたドイツDFを振り切り名手ノイアーの横をかすめるようにして角度のないところから撃ち込んだシュートはマウスに吸い込まれ、日本が逆転に成功する。
アディッショナルタイム7分が付き、ドイツも必死の形相で攻め入るが一歩及ばす。
なんと日本としては103年ぶりとなる対ドイツ戦の勝利。
1994年に初のワールドカップ出場を逃した忌まわしい記憶の地で、優勝回数4回を誇る超格上相手に奇跡の大逆転勝利。
実はこの日、テレビ中継を担当していたNHK総合のラテ欄には縦読みが仕込まれており、そこに書かれていたのは「ドーハを歓喜の地に」であった。
詳しくは「ドーハの歓喜」を参照。