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の編集履歴2023/02/17 20:42:40 版
編集者:昼型宇宙人
編集内容:記事の加筆

しん

中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在 「周」の後「漢」の前 史上初めて「皇帝」の号を輩出 紀元前778年 - 紀元前206年

王朝としての秦

概要

中国の王朝(しん、拼音:Qín、紀元前778年 - 紀元前206年)。国姓は嬴(えい)。代、春秋時代、戦国時代に渡って存在し紀元前221年に中国を統一したが紀元前206年に滅亡した。

統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。統一時の首都は咸陽

歴史

遊牧民系の諸侯で他国からは蔑まれていたが、着々と力を蓄えた。商鞅の新法により大国にのしあがり、張儀の連衡策により蘇秦の合従策を切り崩した。そして嬴政が他の6国を滅ぼし、始皇帝を名乗った。

商鞅以来の厳格な法律や土木事業などで、その後の中国王朝の基礎を築いた。また蒙恬の遠征で匈奴と戦った。

しかし始皇帝の死後、李斯趙高が専横を極めるようになる。さらに上記の苛烈な統治の不満が爆発し、陳勝呉広の乱が勃発、群雄割拠の様相を呈し、混乱の中で滅亡。統一から10年あまりの歴史であった。

そして項羽劉邦の戦いを経て、前漢後漢の繁栄へと続いていくのである。

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