概要
西暦25年に前漢の皇族劉秀(光武帝)により再興された漢王朝の呼称。
220年に魏に禅譲する形で滅亡した。
現在の日本列島にある国家(「奴国/委奴国」)が直接交渉した最古の記録が残っている王朝でもある。
歴代の皇帝がやたら若い。最年少は僅か生後100日である。
その分早死にする皇帝も多く、50歳以上まで生きた皇帝は初代・光武帝を除けば最後の献帝のみである。
そんな状態で皇帝にまともな政治が出来るはずも無く、宦官や外戚がのさばる世であった。
呼び名について
日本では新王朝に滅ぼされた方を「前漢」、こちらを「後漢」と呼ぶが、中国では五代十国時代の王朝と区別するため、首都の位置を基準にして、長安に都を置いた前漢が「西漢」、こちらが洛陽に都を置いたため「東漢」と呼ばれる。
pixiv百科事典では同様に五代十国時代に存在した王朝と区別するため、「東漢」の呼称を採用する。
関連イラスト
上記の通り、日本で一般的な呼び名である「後漢」タグで投稿されたものが多い。こちらのタグは「東漢」呼称が一般的な中国のユーザーによるものが多い。
題材となる時代の傾向としては、三国志関係のものがほとんどだが、建国時の「相思相愛の幼馴染を嫁にしたリア充」こと光武帝とその家臣達のイラストも見られる。